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雑賀貞次郎『南紀熊野の説話』紀南の温泉社 昭和9年

目次

 

はし書

一、この両三年の間、書いたままで置いたものや雑誌や新聞へ出したものなど、とにかく南紀州の説話について、『要らぬお喋べり』をした抜刷や原稿の中からさし当り熊野の街道筋のことで旅人 の目にも耳にもふれそうな話を少しばかり抽きだしてこんなものにしてみた。

ニ、地方で普通に語られている話と、この刷物の話とでは、同じ話題でありながら内容にかなり距離のあるもの、また熊野にのみありとした話に、反って他所の類話をあげたのが幾つかある。その距離や類話がこの刷物をつくらせたので、ところの人々にも、ところの説話をモ一度見直して貰い、旅の人々にも案内記などと対照して貰えば、『要らぬお喋べり』の微意が自から明かになろう。

三、お断りするが、南紀態野の説話といえば、熊野三社の御由緒、王子のこと、午王と烏のこと、秦の徐福の話などを第一に挙げねばならぬが三社の御由緒については三社にそれぞれの刷物がありかつ神祇の学者の考説もあり王子のことは宮地直一氏らの考説があり、午王と烏のことについては既に南方熊楠先生の考説(南方随筆所収)「午王の名義と烏の俗信」があり、また徐福については言ひ古されており、しかも思うところあり、いずれもこの刷物には触れていない。

四、拙文を章したのち、南方先生からその事につきお話をうかがったものは、先生のお話として追記させていただいた。これらの御高教は誠に添く深く感謝するところで、ここでお礼を申上げる。

五、所収の拙文中、かつて新聞や雑誌へ出したものは、その文の末尾にその年月と新聞雑誌名を註記した。その註記ないものは書いたままにして置いたもので、中には起草の年月を記したのもある。これらはすべて私の記念に外ならぬ。

  昭和九年一月

紀州田辺の住居にて  著者  

 

※表記は原則として、旧字、旧かなづかいは常用漢字、現代かなづかいに改めています。一部、漢字をひらがなに改めている箇所もあります。

(てつ@み熊野ねっと

2015.12.26 UP



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