熊野路
佐藤春夫
【かしこくてこのみ〳〵の山住ひ】
かしこくては賢くてと樫粉食てとを掛けたものである。このみの好みと木の実とも同様である。熊野山中の民は、古来、樫や橡の実などを、拾つて皮を去り肉を渓流に浸すこと十日ばかり、渋を去り乾燥して粉末として貯へ、餅として食用にしたものであるといふ。加納諸平が藩命で紀伊国続風土記の撰修のため熊野の地を三たび踏破した時その山水や風俗を歌つた詠草のなかに、
山かつがもちひにせんと木の実つきひたす小川を又やわたらむ
大かたは秋とも知らぬ山かつが笥に盛る飯は木の実なりけり
とあるのはこの風俗を詠じたものである。また諸平が、
山かつがまとふつづりの古衣さしもおもはずよそにききしを
と歌ったのは、木挽長歌の時代より幾分ふるい時代の事であらうが、山間の民の聞きしにまさる酸苦の生活状態をまのあたりにしてはさすがに心を動かされたものと見える。諸平は熊野の人ではないが前後三回の熊野踏破中に得た数十首の秀歌によつて熊野の郷土詩人であるかの観がある。書中頻々と彼が作を引用紹介する所以である。彼のやうな天分のある作家が紀藩に仕へてゐたために文学が藩中に大に興つて、椿山翁などもこの風に刺戟されたものと思ふ。椿山翁その室米子刀自及び娘百子等の歌道の師は熊代繁里といふ本宮の神官で後に南部(みなべ)に移つた人、諸平が社中の同人であつたらしい。
木の実を粉末として食用に供するのはひとり、熊野の地方ばかりではなく、信州辺の山間にもこの事があつて今日もその風遺り伝はつてゐると聞く。熊野にも橡の実の餅が今も山中で行はれてゐるといふが、普通乾粉(ほしご)の餅といふのはさつま芋のきりぼしを粉にして餅に雑へたものが多いやうである。
底本:『定本 佐藤春夫全集』 第21巻、臨川書店
初出:1936年(昭和11年)4月4日、『熊野路』(新風土記叢書2)として小山書店より刊行
(入力 てつ@み熊野ねっと)
2015.9.23 UP