熊野路
佐藤春夫
二 木挽長歌小解
【木の国の熊野の人は】
紀伊の国はもともと木の国である。紀は木の当字である。キをキイと語尾を引くのは関西人一帯のくせである。妃殿下などの語でさへヒイデンカと読むのは現代の関西の婦人などの通癖で、他の地方の人には奇異に感ぜられるところである。昔からこの風があったものと見える。那智山を呼ぶのにもナチイサンと呼び慣はしてゐるのもこの類であらう。自分では気づかぬが紀州人にもこの癖があるらしい。かういふ次第で木の国が紀になりやがて和銅年間各国名を二字に統一するに当り紀伊の国となつたものらしい。
熊野といふ地名の「クマ」は言語学的になかなか面倒なものらしく諸説がある。クマを熊羆とする説、木葉などの立茂りてコモリたるを云ふ蓊鬱説——隠野(コモリヌ)の変転とする説。さてはコモリヌの変化したものではあるが、そのコモリといふのは樹木の蓊鬱ではなく、山河のコモリたる野といふ意味と説いて地形の変化に富む地とする説など、その他、先住民アイヌ語のクマネ(山背)に関係があるとする説、同じくアイヌ語のクマヌ (響く野)とも説いて那智の滝の水音の聞える 範囲の地とするなどの異説等もあるやうだ、けれども、識見のない筆者は何れに従ふべきかを知らない。ともあれ上古は木の国と熊野とはもと各各一国であつたのが後に熊野が木の国に合併され一国と成つたのである。
底本:『定本 佐藤春夫全集』 第21巻、臨川書店
初出:1936年(昭和11年)4月4日、『熊野路』(新風土記叢書2)として小山書店より刊行
(入力 てつ@み熊野ねっと)
2015.9.21 UP