熊野路
佐藤春夫
【百に身鯨六十目 貫八百の磯魚も歯ぼし立たぬと言ひもせず三百五十の酒をくみ】
身鯨は鯨肉の事で、それの六十匁が百文であつたと見える。板一間の挽賃の三分の一に相当する。当今では鯨肉百目が三十銭といふ相場と聞くが、割合にしては今の方が安いわけである。尤も牛肉も豚肉もなかつた往時としては鯨肉は飛び切りに珍重な食味であつた。和歌山からは太地鯨方へ新宮からは三輪崎へそれぞれ毎度献納方の下命があつたらしく、和歌山屋敷詰の諸役人宛で赤身十一貫皮幾何百尋何貫など度々納入の記録が今も残つてゐるから、これによつても鯨肉の食味としての格式は判る。当時の鯨肉は平民の食料ではなかつたものである。
普通炙肉にするには赤身をみりんと醤油とをまぜたものに一二夜ぐらゐ潰けた鎌倉積けと称するものを金網にかけて炭火で焼くのである。もしすき焼にする場合は必ず壬生業(土地の人は千筋と呼ぶ)と一緒に煮るに限られてゐる。百尋といふ大腸小腸の佳味や、かぶら骨といふ軟骨の料理など賞味すべきものが甚だ多いが、背美や座頭の赤身を生食するのが最上の味だと思ふ。併し我等土地の生れの者はとにかくとして他郷の人は躊躇するであらう。
磯魚といふのは荒磯に棲息する魚である。今熊野の海岸の磯魚を思ひ浮ぶままに雑然と数へ上げてみる——あづできます。あたがし(又の名かさご)。べら。白はぎ。黒はぎ。サン印はぎ。こすこべ。赤おこぜ。も鮫。もぶし。かいぐれ。ともしげ。かねひら。しもつ。島あぢ。まさき。たかのは。いち。さざゑつり鮫。ひよわ鮫。をしを。うつぼ。磯はぜ。します。くちび。ちぬ。ねこ鮫。炭やき。くちじろ。わさなべなど奇妙な名ばかりである。中には源平藤橘の何氏に属するかと思はれるともしげ、かねひらのやうなのがあるかと思ふとサン印、と いふ商標づきもある。、をつけて置いた(※このページではアンダーライン※)のは東京でも見かけるものである。印の外にもまだありさうに思ふ。
うつぼの事は、 前にも述べたが、おこぜなどとともに味噌汁の実に最もよろこばれるものである。炭やきといふのは黒石の磯の底によく見かける魚だが、なるほど黒く煤けた魚である。磯魚にはめづらしく焼魚にしていい。他は多く煮魚だけれども新鮮なものはよく酢味噌で生食する。荒磯で活潑な運動をしてゐるから、しこしこする歯ごたへと磯の海藻や小貝などを食餌としてゐるらしく磯の香がしてゐる。この美味は清渓を走り藻を常食する鮎や山べなどの味が喜ばれるのと共通の理由がありさうに思ふ。種類の豊富なのは本来は同一種類のものが周囲に応じて大同のうちに保護色などの関係から小異を生じたのに因るものではなからうか。
その値の高いのは人に喜ばれる上に、漁夫自身が低廉に売る位なら自ら食ふといふ傾があり、獲るに網でせずに釣り上げるから時間がかかる上に、小魚だから貫といふと相当な多数に上るに違ひないと思ふが、それにしても、貫八百文はいい値であるのに、そんな高直の磯魚でも美味でさへあれば山祭の木挽連は歯ぼし立たぬ(手がとどかぬ)とも言はずに、三百五十の酒の肴にするといふ豪勢ぶりは、「半畳むしろの山住ひ」のなかの酒盛りとは受け取り兼ねるばかりである。
底本:『定本 佐藤春夫全集』 第21巻、臨川書店
初出:1936年(昭和11年)4月4日、『熊野路』(新風土記叢書2)として小山書店より刊行
(入力 てつ@み熊野ねっと)
2015.12.24 UP