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熊野路

佐藤春夫


【二百目米を日に一升】

 山の小屋に赴いた連中の山中の生活振を歌はうとしてまづこの句がある。二百目米の句が我等をなかなかなやましたものである。しかし諸賃銀を述べた後で、物価の標準となるべき米価を言つてゐるのだから、この用意に対しても軽軽しく迂潤に読みすごしてはなるまいと再三沈思し及ばずながらも当年の米価なども取調べてみた結果どうやら見当だけをつけて、「二百目米」とは一石銀二百匁台に上つた相場の高い米の謂であらうと判じたのである。

竹越氏の日本経済史の第七巻八巻あたりの物価表によると元治元年には、米価は石、百六十二匁五分から三百二十五匁であつた事を大日本租税志を引用して証してゐる。なほ竹越氏の同書の米価表に拠ると同年の米価は一月に銀百六 十四匁五分八月には銀二百九匁——と二百欠台に上つたものが九月には更に銀二百五十二匁、十月には更に三百二十五匁と上りつめたのが十二月にはまた二百二十七匁に落ちついたことを知つた。米価が二百匁台に上つたのは甲子年の八月が初めてのやうである。六十六翁の椿山先生の記憶にもなかつたであらう。二百目米の称のある所以であらうか。

尤も元治の暴騰を幕開として以下米価は天井知らずに上つた。翌年の乙丑慶応元年の如きは年内に二百八十一匁から五百十三匁にさへ狂ひ出してゐる(越後西脇家古文書に依る)。椿山翁の所謂二百目米はやがて三百目米から五百目米にさへなつて、この後三四年間に遂に徳川幕府の断末魔となり世直しが来たものであつたらしい。この長歌に詠まれたきのえねの変調を幕府衰亡の最初の先駆症状と見る所以である。

 それにしても銀二百匁は今日の幾何になるかこれが一層の難問題であるが、竹越氏によって開港当時の米貨との両替条件といふものを参考にして考へてみると二百匁は米貨の十二弗五仙に相当したらしい。米貨一弗はその後久しく日本貨の約倍額、今日は約三倍になってゐることは諸君の知るところであらう。

 なほ同じ両替条件によつて見ると壱両は一分銀四個である。

 貨幣制度の如きも通貨其物が実質を異にしてゐてめちやめちやなので通貨の値を呼ばずに直接実質的に銀何匁の称呼を以てしたものと見える。

 尚、元治元年のは不明だが、安政六年の金銀貨の各一両に対する純分の含有量が判つてゐるから示して置くと次の如くである
 正字金は    銀一、三六三二匆強
 安政一分銀は  銀八、二二五九匆弱
 大形二朱銀は  銀二四、五四八二匆弱
など少数以下十位ぐらゐまで明記してあるがそれまでの必要もなからうし、筆者にももう何が何やらわからないから恐らく大多数の読者も同様と思ふ。従つて二百目米とは石につき銀二百匁台に上つた高値の米の意とだけ説明し、なほ銀二百匁は当時米貨十二弗五仙に相当とだけで満足していただきたい。なほ多少の疑念もあるがもう力が及ばない。

 この未曾有に高値な米を木挽等は平気で日に一升食ふといふのである。尤も木挽の労働といふものは特に力を費す事の激しいもので食料も他の労働者より美食を多量に摂るのが必要条件であるらしい。例の木挽唄にも——

木挽米の飯、炭焼や茶粥、百姓男は麦の飯

とあつて、木換は粥や麦飯では働けないことを暗示してゐる。 なほ木挽唄をもう一つ——

木挽米の飯糠味噌そへて斧(よき)ではつるよな糞たれた

といふのもある。以上の一つの卑俗な唄の文句のなかにあつたは「は」とか「が」とかを意味するテニヲハの熊野訛で、必ずしも唄とはかぎらず、日常の会話にもこれがいつも用ゐられてゐる。それ故「は」と「が」との厳密な意味は区別なく一つので間に合つてゐる。少年時代からこれに慣れた筆者が文中テニプハの「は」と「が」との使用の区別の無自覚な原因はそもそもこれに由来してゐる。

 茲に特記して置かなければならない事は「日に一升」の一升である。一升飯といふ言葉はどこにもあるが、熊野だけでなく旧紀州藩の地でいふ一升は世間一般からいふ八合にしか相当しないといふ一事である。八ばんと称へ又小ますとも呼んで八合を升とたて、八斗を一石としてあつた。それ故この地方は今でも旧習が染みてゐて、米一俵は世間並みの五斗ではなく四斗入である。

曾て土地の古老に聞いたところであるが、紀州藩は面積が広く、石高が少い。為めに南紀徳川家の封禄は他の諸侯とつり合はないのでこの地の一里を五十町として面積は狭め、八斗を一石として石高を多くしたものであつたと説いてゐた。記憶も怪しいし説の根拠も知らないが、理由の如何にかかはらず事実紀州の一里は五十町、一石は八斗といふ特別の習慣が定められてゐたものである。

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底本:『定本 佐藤春夫全集』 第21巻、臨川書店

初出:1936年(昭和11年)4月4日、『熊野路』(新風土記叢書2)として小山書店より刊行

(入力 てつ@み熊野ねっと

長うた狂歌「木挽長歌」:熊野の歌

2015.12.22 UP



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