熊野路
佐藤春夫
【きりさべともに八九分(ふん)】
先山が山に入るや大木を伐り倒して先づこれを板に挽くべき六尺幾寸の丈けに「切り」、更に斧を揮つてこれが枝をおろしたり周囲をはらひ去つてほぼ四角にこしらへて置く——この仕事を「さべる」といひ名詞にして「さべ」といふ。この「切り」「さべ」はともに杣の頭(八人か十人位を一組とする木挽職人の統率者)の仕事である。その「きり」「さべ」の賃金がともに八九分といふ、一分といふのは三毛であつたと思ふといふ老母の意見もあるがあまり微少であるために今日の幾何に当るかは一向分明でない。
先山は総元締で、きりさべをする杣の頭がこれにつづくものであらうか。立木を伐るのが杣人(そまと)で杣の伐つた木を材にするのが木挽である。木挽よりは杣が上で、更に一等上の職人が先山であるらしい。と想像されるのは、木挽歌に
木挽きアひけ〳〵杣人ははつれ、わしのとのごはさきやまぢや
とあるのを見てもわかる。なほ俗謡に女の口吻を以てするのはよくある手法だが、山中異性に乏しい木挽歌の場合は特にあはれの深いのをおぼえる。
底本:『定本 佐藤春夫全集』 第21巻、臨川書店
初出:1936年(昭和11年)4月4日、『熊野路』(新風土記叢書2)として小山書店より刊行
(入力 てつ@み熊野ねっと)
2015.11.2 UP