熊野路
佐藤春夫
【二百五十の上村の煙草のけぶり吹きちらし】
分別臭い事をいふその口が、これ亦決して安くない、二百五十文の上村の煙草を吹きちらしてゐる。上村の煙草といふのは熊野川の上流の笹尾(ささび)が煙草の産地でそこの上村といふのが熊野では国分煙草のやうに珍重されたもの。百匁玉と称して丸くわげたのを紙で包んだ一玉が二百五十であつたものか。
なほ熊野のたばこに「ほねぎり」と呼ばれてこれは茎まで葉と同様に吸へるもので、その丈七八寸の矮性で葉の多い、上質のものであつたと聞く。この一種特別な逸品は例の方士徐福が渡来の時齎らされたこの地方特有のものと伝へられて敷屋村あたりで作られてゐたのが官営以来影をひそめたといふ。笹尾(ささび)は敷屋村と九重村との中間に位する一部落だから、上村の煙草といふのも「ほねぎり」ではなかつたらうか、一度古老に就て確める必要がある。
分別者ながらこの男も賛沢に慣れて地方最上の煙草を吹きちらしてゐる。特に説明もないがこの煙草は申すまでもなく熊野特有の椿葉巻(しばまき)に相違ない。椿の葉の固きに過ぎず軟かきにすぎぬ手ごろのものを円錐形に巻いてその太い方に煙草をつめて吸ふものである。その味は椿の葉の焼ける匂と煙草とが合致して無上と土地の人々は讃美してゐるが思ふにもともとそんな嗜好から出たものではなく、山林の火事を惧れてすひがらの火の用心であらう。水気の多い厚ぼつたい椿の葉につつまれた吸ひがらは椿の葉を焼き尽す間には自然と火力もおとろへるし、椿の葉に巻き込まれてゐる吸ひがらはやや重いから路傍から林野の奥遠くへ吹きとばされることもないからである。
山へ行く人々は我れも彼も皆きまつてこれを用ゐる習慣であつた。一度これ に慣れると他の煙草は無味であるといふので喫煙者は日常椿の葉を特に用意して屋内でもみなこれに限つてゐた。ここでも煙草とだけで椿葉巻と合点して間違ひない。
山かつがけぶり吹きけむあとならし椿の巻葉霜にこほれり
加納諸平
熊野山中の路傍でよく見かける実景である。
椿葉巻は我等少年の頃までは新宮の町でさへ行はれてゐたものだけれども、今日は新宮では見られまい。山の中へ行けば、実用上まだ残つてゐさうにも思ふがこれも疑はしいものである。新流行の紙巻煙草にお株を奪はれて祖先が折角工夫して置いた椿葉巻などの用意を忘れてしまはなければよいが。
底本:『定本 佐藤春夫全集』 第21巻、臨川書店
初出:1936年(昭和11年)4月4日、『熊野路』(新風土記叢書2)として小山書店より刊行
(入力 てつ@み熊野ねっと)
2015.12.24 UP