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熊野路

佐藤春夫


【元のはだかで 百貫の 男一疋 千びきの鼻かけざるが笑ふとも もふけた銭をいたづらに使はざるのが まさるぢやとそまの頭がひとり言】

 襟もとにお白粉怪しげな女どもに入れ上げて、折角骨を粉にひきくらしてためた金をもとも子も無くした本来の裸一貫の男一匹、たとひ、千匹の鼻かけ猿どもが鼻のある一匹を哂はうとも儲けた金は無駄に費はないのが真猿(まさる)ぢやと、例の分別顔の杣の頭のひとり言である。

千匹の鼻かけ猿が鼻の満足な猿を哂ふといふたとへ話は仏典から出たか漢籍に由来するか、それとも本邦の俗間に発生したものか無学でよく判らないが、ここに猿を引合ひに出したのは熊野人は山間の民であるといふので、よく他地方の人から熊野猿と呼ばれ慣れてゐるからであらう。そ れ故ここで真猿ぢやといふうちにはたのもしき熊野人の意をも寓して置いたものか。まさるぢやのぢやは熊野人慣用の語尾ぢや。我等も少年時から使ひ慣れたものぢや。

 山間の民を猿と呼ぶのは熊野人のみには限らぬと見えて「丹波ささ山山家の猿が」とデカンシヨ節が唄ひ、竹の里人も

世の人は四国猿とぞ笑ふなる四国の猿の子猿ぞわれは

と歌つてゐる。然らば我等も竹の里人に倣つて熊野の猿の子猿ぞと歌はずばなるまい——

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底本:『定本 佐藤春夫全集』 第21巻、臨川書店

初出:1936年(昭和11年)4月4日、『熊野路』(新風土記叢書2)として小山書店より刊行

(入力 てつ@み熊野ねっと

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2015.12.24 UP



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