本朝変態葬礼史 (8/9)
中山太郎
辺土に残っている不思議な葬礼
豊永郷にては死人あれば、身近き者死人の枕を蹴外し少しく寝所を移すなり。墓を定むるには彼 の蹴外したる枕を持ち行きて、爰 ぞと思う所に彼 の枕を据え置き、『地神様より六尺四面買取り申す』とて、銭四文を四方へ投げて定むるなり。これ地神を汚さぬ為めなりと云う。遺骸を棺に納むるとき身近き者死人に向い、『普請をするぞよ、相普請 ではないぞよ』と言いかくるなり。これを言わざれば其の年は家作りは元より、葺替え造作田地開発などの類些 かならずとせり。また棺を出すには必ず家の戸尻 より出し、棺の後に霊供持 とて握り飯を持ち行く者と、水持 とて水を持ち行く者あり、共に身近き婦人の役なり。亦 た弓持 とて竹の弓矢を携えて附添え行く者あり。墓地に至り棺を埋むるとき、彼 の弓持、棺を覆い来たりし着物を弓の先に掛けて取り退け、穴の内に納め大石を其の上に直す。それより杖笠を置くことなどは常の如し。彼 の枕をも上に据え置くなり。此の時水を手向なり。さて埋葬のまだ終らざるうち、彼 の弓持一番に立帰り、家に至り大音にて、『宿借り申そう』と云えば、留守居の者が内より、『三日あとに人質に取られて、宿貸すことは出来申さぬ』と答うれば、又弓持、『然らば艮鬼門 の方へ、世直り中直りの弓を引く』と言いつつ矢を番い、家の棟を射越し弓を踏み折りて投げ越すなり。然して墓所 に行きたる者追々に立帰り、予て設け置きたるタマセと云うものを跨 ぎ、箕の先より米を取り食い、門口の柱を廻りて内に入るなり。(土佐群書類従豊永郷葬事略記)
この記事は明治三年に
※青空文庫より転載させていただきました。
(てつ@み熊野ねっと)
2018.4.2 UP