み熊野ねっと分館
み熊野ねっと

 著作権の消滅した熊野関連の作品を公開しています。

鮨の作り方

佐藤春夫

なれ鮨
(写真提供:C坊さん)

 旧来の鮨、俳句やお芝居のすしやの弥助が桶を小脇にして出て来る脂は、今日のものとは少々違ふ。早鮨ではなく、本当の鮨である。鮨の石だの鮨の桶だの、鮨のなれぐあひなどの言葉は、今日の鮨では意味が通じない筈である。

 旧来の鮨は、あるひは近江の鮒鮨、さては北陸や北海道の鮭鮨など、まだ諸地方に残つてゐるであらうと思はれるが、我々の郷里、紀州にもなれ鮨と言はれるものがある。もっともこれは、和歌山市の附近(有田郡ではこれ無しでは婚礼もお祭も出来ないとか)に多くて、熊野地方まで行くと一般的には作られてゐないが、自分の母は和歌山市の産だから、自分は少年の頃から食べなれ、見慣れて、その作り方を心得てゐる。需めによつてその作り方を書いて置く。

 鮨の魚は、夏の終でも秋のはじめでも漁の多い頃に、魚を頭も尾もそのまま開いて、甕のなかに塩蔵して置く。鯵、鯖、むろ鯵、さては鮎なども、新鮮でさへあればなんでも結構である。中でも鯖、むろ鯵など肉の厚いものが珍重である。鰯を用ゐたのは見ないが熊野では秋刀魚が多いから、秋刀魚は多く用ゐられてゐる。

 俳句の季では夏になってゐたとおぼえるが、我々の実際に作るのは寒中である。

 塩魚や飯の外に、特に用意の要るものは、蓋のある小判形の小桶が一個。

 塩蔵したものを取出して水潰しにして、塩気を抜くなり、洗つて脂を去るなり、魚の用意はそれだけでよい。

 御飯の白米(七分搗や外米でもいいかどうか、まだ研究してゐない。今年はやつて見る)に、少量の塩を入れて出来るだけ軟かく炊くことが必要である。この御飯は熱いうちに、魚の数とその大きさとに準じて握る。握る時に、手に酒をつけるのが秘訣である。それが酸酵を促すらしい。御飯は熱いうちに握つても、それが冷却するのを待つて、その上に魚をのせる。御飯の冷却を待つのは、温気で魚の腐敗するのを、防ぐ意味である。

 かうして出来た姿鮨を、桶のなかへたがへ違ひに並べ入れる。一段並べ終つたら、手につけたお酒をふりかけながら、その上に歯朶を敷く。これは次の段のものとくつつき合って、形の崩れるのを防ぐのであるが、魚に葉形が刻み込まれたり、その香(にをひ)がうつつたりして、頗る風味を増すものである。実用的には、笹の葉や葉蘭などでも間に合ふことと思ふが、風味や趣は、到底歯朶の葉には及ぶべくもあるまい。これらの葉の仕切りを重ねながら、鮨を積み並べて、桶に満ちたら桶の蓋の上から、手ごろの石塊をのせて押す。

 この桶は、真夏ならば渓流や井戸のなかなどに冷蔵して、腐敗を防ぐらしいが、寒中ならばかへつて適当な温気のあるところでないと、菌が凍死して酸酵を妨げるらしい。

 この鮨は、塩蔵の魚と飯とに或る種の菌が発生して、味を生ずるのである。菌は食用して有益無害なものが発生するらしい。例へば、チーズの菌などに類するものではなからうか。

 それが酸酵するのを待つ期間が三週間、その十日目ぐらゐには、水気が蓋のぐるりに上って来る。これは順調に出来つつある兆である。もし水があがらなかつたら、呼び水を少々注いで見るといい。三週間のあひだ、毎日桶のなかに、少量の新しい水を注入する方法もあるらしいが、これは必ずしも必要ではあるまい。我等は決してこれをしない。

 二十一二日目に逆押しといふのをする。桶を全く逆さにして、その蓋の下に手ごろの台をあてがひ、桶の底の上から、今まで蓋の上にあつた重石を置いて押す。

 これが一昼夜、桶のなかの水気が適当に切れるから、これを仕上げとして、鮨を取り出して愈々賞味する。紅生薑があひものだから、忘れずこれを副へて置きたい。

 さほどに辛辣でないチーズなどに似た味は、一種特有の美味で、酒客などに愛好されるものであるが、この好もしさが、人によっては悪(い)みとなり、腐敗してゐるなどと考へる、食はず嫌ひもある。

 自分は大の好物で、少年で出郷して以来、ほとんど毎年季節の到る毎に、母はこれを作つてわざ〳〵送つてくれた。

 この慈母も昨年没して、近日一周忌になる。

 四五年前母は没後に自分がこれを欲する時を考へたものであつたか、その製法と桶とを嫁に伝へて、毎年夏のうちから用意してくれた塩魚に、歯朶をそへてとどけてくれるのが吉例になつてゐた。

  枯れたひからびた歯朶は、もう香りがぬけて風味はつかないが、それでも水に漬けて置くと、幾分生気が出て、辛うじて役に立つ。

 慈母の伝授によつて、荊妻も三四回東京で作つて、友人間に お世辞ながらの好評を博してゐる。

「なれ鮨は二度うまいものである。食べる時と、後でお茶をのむ時と」といふ曾祖父の言葉が、わが家に伝はつてみる。塩気の強いもので、渇をおぼえるものだからである。曾祖父も大好物、父も自分も、さうして息子は一つの時から食べはじめて、大いに好んでゐる。

なれ鮨
(写真提供:C坊さん)

底本:『定本 佐藤春夫全集』 第22巻、臨川書店

初出:1940年(昭和15年)7月1日発行の『家庭』(第一〇巻第七号)に掲載

(入力 てつ@み熊野ねっと

佐藤春夫「鮨のはなし」

2015.8.25 UP

カスタム検索






ページのトップへ戻る