鮨のはなし
佐藤春夫
(写真提供:C坊さん)
お正月だからせめて御馳走のおはなしでもしよう。実は昨今風邪の気味で食気不振のため夕餉の分量が少なかつたので、眠つきが悪いうちに空腹になつて来た。こんな時に食べ物のことを書いたものを読むと面白いのである。アナトアル・フランスのシルベストル・ボナールの罪のなかに御馳走を書いた頁がある。饗庭篁村のおかげ参りにもところどころにある。これ等の本は今は枕頭にない。悪寒を冒して書斎までさがしに行くのも大儀である。
そこで思ひついたのが、この手料理である。いづれは名家の腕前のやうには行くまい。それに何分、田舎料理である。しかし郷味だから自分の口には合ふものばかり選んだが、客人には果してお気に召すかどうかおぼつかないものだが幾分は俳味のある献立のつもりである。
季節がら、鮨がよからう。郷里の方の所請なれ鮨といふのは石だの桶だのを要する俳句の鮨である。句の方の事は客人がたの方が専門だから説くまでもあるまい。但俳譜の方では夏の季らしいが、実際に我等の圧すのは厳冬に限つてゐる。琵琶湖の鮒鮨をはじめ北海道の鮭の鮨にいたるまで大同小異のものが多いから味の方は多分、比較的広く知られてゐる事であらうが拵へ方はその割合に知られて居さうに思はぬ。僕は鮨が大好物なので少年時代から食べ慣れたのを出郷後も郷里から桶のままで海路を毎年送つて貰つてゐたが、一両年前からは荊妻が母の伝受によつて東京の自宅で拵へてゐる。尤も魚はやはり紀州から送つて貰つてゐる。今年も今に来さうなものである。
魚は新鮮なものでさへあれば何でもいいが香魚などの上品なものよりも鮨には寧ろ秋刀魚、むろ鯵、鯖などのやうな下魚の方がいいと思ふ。鯖、むろ鯵などは、肉が厚いので特にいい。これの新鮮なのを割いて塩蔵したのを母から送つて貰ふのである。秋の初めごろから塩のなかに埋めて貯へたのがいい。塩がなれて肉の適当に醗酵するためには少くも一ケ月以上を要する三ケ月位は経つてゐてもいい。この塩まみれの魚は塩が強すぎると思へば半時間か一時間位水につけて置く。
魚は塩蔵だから世話はないが歯朶は生のものだから厄介である。折角送ってもひからびて白つぼく色が変つてとどく。それでも水に漬けて置くうちには幾分の生気を生ずる。この歯朶は何に使ふか。鮨と鮨との間に 仕切りをつけるために敷くのである。ただ一旦枯れてしまった歯朶は生のもののやうに香がないから風味がもの足りないのは是非もない。それでも魚の上に歯朶の形が押されてゐるだけでも見た目に快い。
握り得る限りで出来るだけ柔かく炊いた御飯を少し酒をつけた掌で握つたものが冷えるのを待つて魚をつけて姿を整へながら桶のなかへ並べる。御飯を握る時酒をつけるのは醗酵を促進するだけのもので必ずしも欠くべからざる条件ではない。問題は桶である。あの桶のなかには特有の菌があるので、鮨の味はあの菌のせゐである。だから菌のついてゐる桶でなければ鮨にはならない。自分の桶も紀州の家にあったのを送つてもらったのである。
鮨と歯朶とを交互に積んで桶が一杯 になつたところで上から石を置く、石の大きさはひき臼を二つ重ねた位の重量を必要とする。この石のために魚や御飯から水気が出るものがつけて二週間ほどすると桶の上つらへ出てくる、一度どうしても水が出ないと思つて失望したが歯朶をあまり一面に敷きすぎたためであつた。石を載せたままで三週間置くうちに、菌が魚や御飯のなかに繁殖してそれが味になるわけである。
桶の置き場所が余り寒いところだと思ふやうに出来ない。菌が凍死すると見える。さうかと言つてあまり温かいところだとこの菌が繁殖しないうちに別の菌が発生する——つまり腐敗するのである。鮨の菌が繁殖してしまふとこれ以外の別の菌は食ひ殺して仕舞ふから腐敗する惧はないのであらう。石を載せて三週間経過したら最後に一日桶を逆さにして桶の底に石を載せる。さか押しといふので、最後に水気を切るわけである。もうこれで食べられる。紅生薑と味の合ふものだから必ずこれを副へなければいけない。僕は好物だから非常にうまいと思ふが、熊野でも今は十人に一人ぐらゐしか食べる人がないからだんだん忘れられる運命にある食べものであらう。僕の曾祖父はこの味を賞して「なれ鮨は二度うまい——はじめは食べた時、次にはお茶をのむ時」と言つたと聞いてゐるが、何ぶん塩気の強いもので喉がかわくからこの言葉があるわけである。
ここまで書いて来て頗るキマリの悪い事を思ひ出してしまつた。もう十年位にはなるかと思ふが、小泉迂外氏が久保田万太郎君の紹介状を以て講談社の雑誌か何かのために郷土の食味に就いて聞きに来られた時自分は御丁寧にも小泉氏をつかまへて懇々となれ脂の講釈をしたものであつた。氏が与平ずしの主人で世に聞えた食通だといふことを自分は知らなかったからである 。小泉氏が黙つて謹聴して居られたのも人の悪いはなしである。
去年は御飯だけ方哉に食べさせた。父や祖父などの好む味を早く知らせてやりたかつたからであるが、そんな変つたものを食べさせることがないといふ子の母の抗議があつたからいいかげんでやめた。しかし方哉は喜んで食べた。少々気にかからぬでもなかつたが異常はなかつたし、方哉ももう大ぶん大きくなつたから今年は心配せずに食べさせるつもりである。
風味はチーズを日本的にしたものと思へば先づ間違ひはない。菌も或は同じものではあるまいか。鮨が出来たらどんどんたべてしまふがいい。十日も経つと変味の惧がある。
(写真提供:C坊さん)
底本:『定本 佐藤春夫全集』 第21巻、臨川書店
初出:1936年(昭和11年)1月1日発行の『東炎』(第五巻第一号)に掲載
(入力 てつ@み熊野ねっと)
2015.8.26 UP