当麻
『謡曲三百五十番』No.257
※念仏行者の一行が熊野詣での帰途、当麻寺に立ち寄ると、老尼と女が現れる。二人は一行に、この寺の本尊「当麻曼荼羅」の成立にまつわる故事を語る。世阿弥作。
季節:二月
ワキ:念仏行者
ワキツレ二人:従僧
シテ:老尼
ツレ:女
後シテ:中将姫の精魂
<底本:日本名著全集『謠曲三百五十番集』>
ワキ、ワキツレ二人次第「教うれしき法の門。/\。ひらくる道に出でうよ。
ワキ詞「これは念仏の行者にて候。我此度三熊野に参り。下向道に赴きて候。又これより大和路にかゝり。当麻の御寺に参らばやと思ひ候。
道行三人「程もなく。帰り紀の路の関越えて。/\。こや三熊野の岩田川。波も散るなり朝日。影夜昼わかぬ心地して。雲も其方に遠かりし。二上山の麓なる。当麻の寺に着きにけり/\。。
シテサシ一声「一念弥陀仏即滅無量罪とも説かれたり。
ツレ「八万諸聖教皆是阿弥陀ともありげに候。
シテ「釈迦は遣り。
ツレ「弥陀は導く一筋に。
シテツレ二人「心ゆるすな南無阿弥陀仏。
シテ一セイ「唱ふれば、仏も我もなかりけり。
シテ「すゞしき。道は。
シテツレ二人「たのもしや。
シテツレ二人次第「濁にしまぬ蓮の糸。/\の。五色にいかで染みぬらん。
シテサシ「ありがたや諸仏の誓様々なれども。わきて超世の悲願とて。迷の中にも殊になほ。
二人「五つの雲は晴れやらぬ。雨夜の月の影をだに。知らぬ心の行方をや西へとばかり頼むらん。実にや頼めば。近き道を。何遥々と思ふらん。
下歌「すゑの世に迷ふ我等が為なれや。
上歌「説き遺す。御法はこれぞ一声の。/\。弥陀の教を頼まずは。末の法。万年々経るまでに余経の法はよもあらじ。たま/\此生に浮まずは。又いつの世を松の戸の。明くれ。ば出でて暮るゝまで法の場に交るなり御法の。場に交るなり。。
ワキ詞「いかにこれなる方々に尋ね申すべき事の候。
シテ詞「何事にて候ふぞ。
ワキ「これは当麻の御寺にて候ふか。
シテ「さん候当麻の御寺とも申し。又当麻寺とも申し候。
ツレ「又是なる池は蓮の糸を。すゝぎて清めし其故に。染殿の井とも申すとかや。
シテ「あれは当麻寺。
ツレ「これは染寺。
シテ「又此池は染殿の。
シテツレ二人「色々様々所所の。法の見仏聞法ありとも。それをもいさやしら糸の。唯一筋ぞ一心不乱に南無阿弥陀仏。
ワキ「実に有難き人の言葉。即ちこれこそ弥陀一教なれ。
詞「さて又これなる花桜。常の色にはかはりつゝ。これも故ある宝樹と見えたり。
ツレ「実によく御覧じ分けられたり。あれこそ蓮の糸を染めて。
シテ詞「掛けて乾されし桜木の。花も心のある故に。蓮の色に咲くとも云へり。
ワキ「なか/\なるべし本よりも。草木国土成仏の。色香に染める花心の。
シテ「法の潤種添へて。
ワキ「濁にしまね蓮の糸を。
シテ「すゝぎて清めし人の心の。
ワキ「迷を乾すは。
シテ「緋桜の。地歌「色はえて。掛けし蓮の糸桜。/\。花の錦の経緯に。雲の絶間に晴れ曇る雪も緑も紅も。唯一声の誘はんや西吹く秋の。風ならん西吹く風の秋ならん。。
ワキ詞「なほ/\当麻の曼陀羅の謂委しく御物語り候へ。
地クリ「そも/\此当麻の曼陀羅と申すは。人皇四十七代の帝。廃帝天皇の御宇かとよ。横佩の右大臣豊成と申しゝ人。
シテサシ「その御息女中将姫。此山にこもり給ひつゝ。
地「称讃浄土経。毎日読誦し給ひしが。心中に誓ひ給ふやう。願はくは生身の弥陀来迎あつて。我に拝まれおはしませと。一心不乱に観念し給ふ。
シテ「然らずは畢命を期として。
地「此草庵を出でじと誓つて。一向に念仏三昧の定に入り給ふ。
クセ「所は山陰の。松吹く風も涼しくて。さながら夏を忘れ水の。音も絶々に。心耳を澄ます夜もすがら。称名。観念の床の上。座禅円月の窓の内。寥々とある折節に。一人の老尼の。忽然と来りたゝずめり。これは如何なる人やらんと。尋ねさせ給ひしに。老尼答へて宣はく。誰とはなどや愚なり。呼べばこそ来りたれと。仰せられける程に。中将姫はあきれつゝ。
シテ「我は誰をか呼子鳥。
地「たづきも知らぬ山中に。声立つる事とては。南。無阿弥陀仏の称ならでまた他事もなきものをと。答へさせ給ひしに。それこそ我が名なれ声をしるべに来れりと。宣へば姫君もさては此願成就して。生身の弥陀如来。実に来迎の時節よと。感涙肝に銘じつゝ。綺羅衣の御袖も。しをるばかりに見え給ふ。
ロンギ地「実にや貴き物語。即ち弥陀の教ぞ。と。思ふにつけてありがたや。
シテツレ二人「今宵しも。二月中の五日にて。しかも時正の時節なり。法事をなさん為今此寺に来りたり。
地「法事のために来るとは。そもや如何なる御事ぞ。
シテツレ二人「今は何をか包むべき。其古の化尼化女の。
地「夢中に現じ来れりと。
シテツレ二人「言ひもあへねば。
地「光さして。花降り異香薫じ。音楽の声すなり。恥かしや旅人よ暇申して帰る山の。二上の嶽とは二上の。山とこそ人はいへど。真は此尼が上りし山なる故に。尼上の嶽とは申すなり老の坂を登り登る雲に乗りて。上りけり紫雲に乗りて上りけり。
中入間「。
ワキ詞「かく有難き御事なれば。重ねて奇特を拝まんと。
三人歌待謡「いひもあへねば不思議やな。/\。妙音聞え光さし。歌舞の菩薩の目のあたり。現れ給ふ。不思議さよ現れ給ふ不思議さよ。
後シテ出端「たゞ今夢中に現れたるは。中将姫の精魂なり。我娑婆に在りし時。称讃浄土経。朝々時々に怠らず。信心誠なりし故に。微妙安楽の結界の衆となり。本覚真如の円月に坐せり。然れども。こゝを去る事遠からずして。法身却来の法味をなせり。
地「ありがたや。尽虚空界の荘厳は。眼は雲路にかゝやき。
シテ「転妙法輪の音声は。聴宝刹の耳に充てり。
地「蕭然とある暁の心。
シテ「真に涼しき。道に引かるゝ光陰の心。地「惜むべしやな/\。時は人をも。待たざるものを。すなはちこゝぞ。唯心の浄土経。いたゞきまつれや/\。摂取不捨。
シテ「為一切世間。説此難信。
地「之法。是為。甚難。
シテ「実にも此法甚だしければ。
地「信ずる事も難かるべしとや。
シテ「唯頼め。地「頼めや頼め。
シテ「慈悲加祐。
地「令心不乱。
シテ「乱るなよ。
地「乱るなよ。
シテ「十声も。
地「一声ぞ有難や。
早舞「。
シテ「後夜の鐘の音。
地「後夜の鐘の音。鳧鐘の響。称名の妙音の。見仏聞法の色色の法事。実にも普ねき光明遍照十方の衆生を。唯西方に。迎へ行く。御法の舟の。水馴棹。御法の舟の。さを投ぐる間の。夢の。夜はほの%\とぞなりにける
(** JALLC TANOMOSHI project No.1 **
** 謡曲三百五十番集入力 **より
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2019.7.18 UP