難波(なにわ)
『謡曲三百五十番』No.024
※熊野詣を済ませた大臣一行が帰途に難波で梅の木陰を清めている老若2人の男に出会う。世阿弥作。
季節:正月
ワキ:大臣
ワキツレ:従者二人
前シテ:尉
ツレ:男
後シテ:王仁
後ツレ:木花開耶姫
<底本:日本名著全集『謠曲三百五十番集』>
ワキ、ワキツレ二人、次第「山も霞みて浦の春。/\。波風静かなりけり。
ワキ詞「抑これは当今に仕へ奉る臣下なり。われ三熊野を信じ。毎年年ごもり仕り候。此度は所願成就し。年帰る春にもなり候へば。唯今都に下向仕り候。
道行三人「春立つや。実にも長閑けき風和の。/\。浜の真砂も吹上の。浦伝ひして行く程に。早くも紀路の関越えて。是も都か津の国の。難波の里に着きにけり/\。
シテツレ二人真の一セイ「君が代の長柄の橋も造るなり。難波の春も。幾久し。ツレ二ノ句「雪にも梅の冬籠り。
二人「今は春べの気色かな。
シテサシ「それ天長く地久しくして。神代の風長閑に傳はり。二人「皇の畏き御代の道広く。国を恵み民を撫でて。四方に治まる八洲の波静かに照らす日の本の。影ゆたかなる時とかや。
下歌「春日野に若菜摘みつゝ。万代を。
上歌「祝ふなる。心ぞしるき曇なき。/\。天つ日嗣の御調物。運ぶ巷や都路の直なる御代を仰がんと。関の戸さゝで千里まで。普く照らす。日影かな。普く照らす日影かな。
ワキ詞「如何にこれなる老人に尋ぬべき事の候。
シテ詞「此方の事にて候ふか何事にて候ふぞ。
ワキ「不思議やな諸木こそ多き中に。是なる梅の木蔭を立ち去らずして。蔭を清め賞翫を給ふ事不審なり。もし此梅は名木にて候ふか。シテ「御姿を見奉れば。都の人にて御座候ふが。此難波の浦に於て。色殊なる梅花を御覧じて。名木かとのお尋は御心なきやうにこそ候へ。
ツレ「それ大方の春の花。木々の盛は多けれども。花の中にも始なれば。梅花を花の兄ともいへり。
シテ詞「その上梅の名所々々。国々処は多けれども。六義の始のそへ歌にも。難
波の梅こそ詠まれたり。
ツレ「御代も開けし栄花といひ。
シテ「あまねき花の佳例といひ。
二人「とにかくにも津の国の。こや都路の難波津に。名を得て咲くやこの花を。名木かとのお尋は。ことあたらしき御諚かな。
ワキ詞「実に/\難波の梅の事。名木やらんと尋ねしは。愚なりける問事かな。然れば歌にも難波津に。咲くやこの花冬ごもり。今は春べと咲くやこの。花の春冬かけてよめる。歌の心は如何なるぞ。
シテ「それこそ帝をそへ歌の。心詞は顕れたれ。難波の御子は皇子ながら。未だ位に即き給はねば。冬咲く梅の花の如し。
ワキ「御即位ありて難波の君の。位に備はり給ひし時は。
シテ詞「今こそ時の花の如く。
ワキ「天下の春をしろしめせば。
シテ「今は春べと咲くやこの。
ワキ「花の盛は大鷦鷯の。
シテ「帝を花にそへ歌の。
ワキ「風もをさまり。
シテ「立つ波も。
地歌「難波津に。咲くやこの花冬ごもり。/\。今は春べに匂ひ来て。吹けども梅の風。枝を鳴らさぬ御代とかや。実にや津の国の。なにはの事に至るまで。豊なる世の例こそ。実に道広き。治なれげに道広き治なれ。
地クリ「抑難波津の歌は帝の御はじめ。又安積山の詞は。采女の土器。とり%\なり。
シテサシ「昔唐国の尭舜の御代にも越えつべし。
地「万機の政おだやかにして。慈悲の波四海に普く。治めざるに平かなり。
シテ「君君たれば。臣もまた。
地「水よく船を。浮かむとかや。
クセ「高き屋に。登りて見れば煙立つ。民のかまどは。賑ひにけりと。叡慮にかけまくも。かたじけなくぞ聞えける。然れば此君の。代々にためしを引く事も。実に有難き詔。国々に普く。三年の御調ゆるされし。其年月も極まれば。浜の真砂の数積りて。雪は豊年の御調物。ゆるす故にはなか/\いやましに運ぶ御宝の。千秋万歳の。千箱の玉を奉る。
シテ「然れば普き御心の。
地「いつくしみ深うして。八洲の外まで波もなく。広き御恵。筑波山の陰よりも。茂き御影は大君の。国なれば土も木も。栄えさかふる津の国の。難波の梅の名にしおふ。匂も四方に普く一花ひらくれば天下皆。春なれや万代の。なほ安全ぞめでたき。
ロンギ地「実に万代の春の花。/\。栄久しき難波津の昔語ぞおもしろき。
シテ「実に名にしおふ難波津に。鳥の一声をりしもに。鳴く鴬の春の曲春鴬囀を奏せん。
地「不思議や御身誰なれば。かく心ある花の曲。舞楽を奏し給ふべき。
ツレ「我は知らずや此梅の。春年々の花の精。
地「今一人の老人は。
シテ「今ぞ顕す難波津に
地「咲くやこの花と詠じつゝ位をすゝめ申せし百済国の王仁なれや。今も此花に戯れ。百囀の声立て春の鴬の舞の曲。夜もすがら。慰め申すべしや。下臥して待ち給へ花の下ぶしに待ち給へ。
中入間「。
ワキ(三人)歌待謡「見て暮す。花の下臥更くる夜の。/\。月影ともに静かなる。けしきに染みて音楽の。花に聞ゆる不思議さよ花に聞ゆる不思議さよ。
後シテ出端「誰かいひし春の色は。東より来るといへども。南枝花始めて開く。こゝは所も西の海に。向ふ難波の春の夜の。月雪もすむ浦の波。夜の舞楽はおもしろや。夢ばし覚まし。給ふなよ。
後ツレ「これは難波の浦に年を経て。開くる代々の恵を受くる。木花咲耶姫の神霊なり。
シテ「我は又百済国より此国に渡り。君を崇め国を守る。王仁と云つし。相人なり。
地「むかし。仁徳の御宇には。御代の鏡の影をうつし。
シテ「治まる御代の栄花をなしゝも。
地「この花の匂。
シテ「又は開くる言の葉の緑。地「難波の事か法ならぬ。遊び戯れ。いろ/\の舞楽。おもしろや。
天女舞「。
ツレワカ「梅が枝に。来居る鴬。春かけて。
シテ「鳴けども雪は。古き鼓の。苔むして。打ち鳴らす。/\。人もなければ。君が代に。地「懸けし鼓も。
シテ「鐘も響き。
地「浦は潮の。
シテ「波の声々。
地「入江の松風。
シテ「むら芦の葉音。
地「いづれを聞も悦の。諫鼓苔むし難波の鳥も。驚かぬ御代なり。有難や。
神舞「。
ロンギ地「あらおもしろの音楽や。時の子にかたどりて。春鴬囀の楽をば。
シテ「春風ともろともに。花を散らしてどうど打つ。
地「春風楽は如何にや。
シテ「秋の風もろともに。波を響かしどうど打つ。
地「万歳楽は。
シテ「よろづ打つ。
地「青海波とは青海の。
シテ「波立て打つは。採桑老。
地「抜頭の曲は。
シテ「かへり打つ。
地「入日を招き帰す手に。/\。今の太鼓は波なれば。よりては打ち返りては打ち。此音楽に引かれつゝ。聖人御代にまた出で。天下を守り治むる万歳楽ぞめでたき万歳楽ぞめでたき。
(** JALLC TANOMOSHI project No.1 **
** 謡曲三百五十番集入力 **より
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2018.5.15 UP