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余が社会主義

遠松(高木顕明)

※内容的には熊野関連の文章ではありませんが、大逆事件で逮捕された6名の熊野人の1人、高木顕明(たかぎ けんみょう:1864-1914)の著作なので、ご紹介します。

高木顕明は和歌山県新宮市の真宗大谷派の寺院、浄泉寺の12代住職。この著作は高木顕明が生前に公開したものではなく、家宅捜査を受けたときに押収されたもので、大逆事件の証拠物として四三押第一号一九九という番号が付けられました。

原稿は日露戦争(1904年2月〜1905年8月)の最中の1904年(明治37年)10月4日に完成していました。雅号の「遠松(えんしょう)」は、浄泉寺の山号「遠松山」にちなみます。

調書には以下のようにあります。

三二、
問、これは証人が書いた原稿か、
このとき同号の一九九を示す、

答、左様です。

三三、
問、如何なる趣意であるか、

答、私は真宗大谷派の僧侶です。それで南無阿弥陀仏の信力により心霊の平等を得、これによって社会主義者のいわゆる平等の域に達せんとして、議論を書いたものです。

三四、
問、それでは、証人もやはり終局目的においては社会主義と同様のことを言うのか、

答、左様です、もっとも私は宗教によってその目的を達せんとするのでであります、

〔第六冊(6/28)調書〕
※原文は漢字カタカナ交じり文。カタカナをひらがなに改め、一部、漢字をひらがなに改めている箇所もあります。

「余が社会主義」と題されていますが、この論考は、僧侶として仏教、浄土真宗の立場から戦争と差別には反対するという内容のものです。 (てつ)


大逆事件証拠物写 四三押第一号一九九
(余ガ社会主義ト題スル論文)

明治三十七年十月四日にこの草稿を成就せり
余が社会主義

余が社会主義

遠松 

 緒言

 余が社会主義とはカールマルクスの社会主義を受けたのでない。またトルストイの非戦論に服従したのでもない。片山君や古川君や秋水君のように科学的に解釈を与えて天下に鼓吹するという見識もない。けれども余は余だけの信仰がありて、実践していく考えでおるからそれを書いてみたのである。 いずれ読者諸君の反対もあり、お笑いを受けることであろう。しかしこれは余の大いに決心のある所である。

 本論

 社会主義とは議論ではないと思う。一種の実践法である。ある人は社会改良の預言ぢゃと言うているが余はその第一着手ぢゃと思う。よって我々は及ぶ限り実行していきたいと思うている。現状の社会制度をドシドシ改良して社会の組織を根本的に一変せねばならんと考えている。

 またある人は社会主義を政治議論として鼓吹している。余は社会主義は政治より宗教に関係が深いと考える 。社会の改良はまず心霊上より進みたいと思う。よって自分の考え通り既往の所謂先輩という社会主義者の系統等を借りず余が信仰と実践の一端とをお話しいたす考えである。

 余は社会主義を二段に分類してお話しいたします。第一の信仰の対象といい、第二を信仰の内容という。その第一の信仰の対象という内をさらに三段に分類いたします。云く一つに教義、二つ人師、三つに社会、次に第二の信仰の内容もまたさらに二段に分類いたします。云く一つに思想回転、二つに実践行為である。

 ここで第一の信仰の対象たるその一つの教義というは何事をいうかといえば、即ち南無阿弥陀仏であります。この南無阿弥陀仏は天竺の言でありて真に御仏の救済の声である。闇夜の光明である。絶対的平等の保護である。智者にも学者にも官吏にも富豪にも安慰を与えつつあるが、弥陀の目的は主として平民である。愚夫愚婦に幸福と安慰とを与えたる偉大の呼び声である。

○日本の語で言うてみるなら阿弥陀仏という過境の普善者が救うから安心せよ護るから心配するなと呼んでくれたる呼び声である。ああ我等に力と命とを与えたるは南無阿弥陀仏である。

○じつに絶対過境の慈悲である御仏の博愛である。これを人殺しのかけ声にしたと聞いて喜んでいる人々はただあきれるより外はない。こうして見ると、我国には宗教ということも南無阿弥陀仏ということもおわかりになった人が少ないと見える。

○詮ずるところ余は南無阿弥陀仏には、平等の救済や平等の幸福や平和や安慰やを意味していると思う。しかしこの南無阿弥陀仏に仇敵を降伏するという意義の発見せらるるであろうか。

○余は南條博士の死ぬるは極楽ヤッツケロの演説を両三回も聞いた。あれは敵害心を奮起したのであろうか。哀れの感じが起こるではないか。

○ニつに人師(人間の師匠の意)とは余の理想の人である。第一番には釈尊である。彼の一言一句はあるいは個人主義的議論もあろう。しかし彼の一生はどうであるか。帝位を捨て、沙門となり、吾れ人の抜苦与楽のために終生三衣一鉢で菩提樹下に終わる。その臨末に及んで鳥蓄類まで別れを悲しんだとはじつに霊界の偉大なる社会主義者ではないか(しかしながら自今平民社や直言社やの社会主義者とは同一議論ではなかろう)。彼は少しも人爵の如何に心を置かなんだであろう。その当時の社会制度の一班を改良したであろう。否、百般の事に確かに一変を与えている。

○天笠や支那にその人を挙げれば沢山にある。しかし今はこれを略して置く。日本では伝教でも弘法でも法然でも親鸞でも一休でも蓮如でももっとも平民に同情厚き人々である。殊に余は親鸞が御同朋御同行と言うたのや、僧都法師の尊さも僕従者の名としたりと言ったより考えくると、彼はじつに平民に同情厚き耳ならず、確かに心霊界の平等生活をなしたる社会主義者であろうと考えている(しかしこれとても現今の社会主義者とは議論は違うであろう)。余はこれらの点より仏教は平民の母にして貴族の敵なりと言うたのである。

○三つに社会である。理想世界である。諸君はどう思うか。余は極楽を社会主義の実践場裡であると考えている。弥陀が三十二相なら今集りの新菩薩も三十二相、弥陀が八十瑞光なら行者も八十瑞光なり。弥陀が百味の飯食なら衆生も百味の飯食なり。弥陀が応法妙服なら行者も応法妙服なりて、眼通で耳通神足通他心通宿命通弥陀と違わん通力を得て、仏心者大慈悲これなりという心になりて、他方国土へ飛び出して有縁々々の人々を済度するに間隙のない身となる故に極楽という。真に極楽土とは社会主義が実行せられてある。

○極楽世界には他方の国土を侵害したということも聞かねば、義のために大戦争をしたということも一切聞かれたことはない。よって余は非開戦論者である。戦争は極楽の分人のなすことでないと思うている(しかし社会主義者にもあるいは開戦論者があるかも知れん)(これは毛利柴庵を意味す)。

○さらに第一の信仰の内容たるその一つの思想の回転についてお話しいたします。専門家の方ではこれを一念帰命とか、行者の能信とかというてやかましく言います。

○上来お話しいたし来たりた釈尊等の人師の教示によって理想世界を欲望し、教世主たる弥陀の呼び声を聞き付けて深く我が識心感じられたら、そのとき大安心が得られ大慶喜心が起きて精神はすこぶる活発になるのである。

○じつに左様であろう。ある一派の人物の名誉とか爵位とか勲賞とかのために一般の平民が犠牲となる国に棲息している我々であるもの。あるいは投機事業を事とする少数の人物の利害のために一般の平民が苦しめられねばならん社会であるもの。富豪のためには貧者は獣類視せられているではないか。飢えに叫ぶ人もあり、貧のために操を売る女もあり、雨に打たるる小児もある。富者や官吏はこれを玩弄物□視し、これを迫害し、これを苦役して自ら快としているではないか。

○外界の刺激がかの如き敬に主観上の機能も相互に野心で満ち満ちているのであろう。じつに濁世である。苦界である。闇夜である。悪魔のために人間の本性を殺薮せられているのである。

○しかるに御仏は我等を護るぞよ救うぞよ力になるぞよと呼びつつある。この光明を見つけた者は真に平和と幸福とを得たのである。厭世的の煩悶を去りて楽天的の境界に到達したのであろうと考える。

○さながら思想は一変せざるべからずだ。御仏のなさしめ給うことをなし、御仏の行ぜしめ給う事を行じ、御仏の心を以て心とせん。「如来の志ろしめむ如く身を持すべしであろう。大決心はこのときである。

○ニつに実践行為。次ぎ上の思想の回転が御仏の博愛に深く感じたるものなれば如来の慈悲心を体認せねば(体忍耐か耐忍かこのところの耐忍は諦認と書くをよしとするか)ならん。これを実践せねばならん。大勲位候爵になりたとて七十ヅラして十七や八の妙齢なる丸顔を玩弄物にしては理想の人物とはいわれんであろう。戦争に勝ったというても兵士の死傷を顧みざる将軍なれば我々の前には三文の価値もない。華族の屋敷を覗いたというて小児を殴打した人物等はじつに不将千万ではないか。

○否、我々はこの様な大勲位とか将軍とか華族とかという者になりたいといふ望みはない。このような者になるとて働くのではない。ただ余の大活力と人労働とを以て実行せんとするものは向上進歩である。共同生活である。生産のために労働し、得道のために修養するのである。それに何ぞや。戦勝を神仏に祈る宗教者があると聞きては嘆せざるを得ぬ。否、哀れを催し、お気の毒に感じられるのである。

この闇黒の世界に立ちて救いの光明と平和と幸福を伝道するは我々の大任務を果すのである。諸君よ、願わくは我等と共にこの南無阿弥陀仏を唱え給い。今しばらく戦勝を弄び万歳を叫ぶことを止めよ。何となればこの南無阿弥陀仏は平等に救済し給う声なればなり。諸君よ願わくは我等と共にこの南無阿弥陀仏を唱えて貴族的根性を去りて平民を軽蔑することを止めよ。何となればこの南無阿弥陀仏は平民に同情の声なればなり。諸君願わくは我等と共にこの南無阿弥陀仏を唱えて生存競争の念を離れ共同生活のために奮励せよ。何となればこの南無阿弥陀仏を唱うる人は極楽の人数なればなり。かくの如くして念仏に意義のあらん限り心霊上より進んで社会制度を根本的に一変するのが余が確信したる社会主義である。

○終わりに臨んで、ある人が開戦論の証文の様に引証している親鸞聖人の手紙の文を抜き出して、この書が開戦を意味せるか、平和の福音なるかはよろしく読者諸君の御指揮を仰ぐこととせん。

○御消息集四丁の右 上略 詮じ候うところは御身にかぎらず念仏申さん人々は、我が御身の料は思し召さずとも、朝家の御ため国民のために念仏を申し合せたまい候わば、めでとう候うべし。往生を不定に思し召さん人は、まず我が身の往生を思し召して御念仏候うべし。我が身の往生一定と思し召さん人は、仏の御恩を思し召さんに、御報恩のため御念仏こころに入れて申して、世の中安穏なれ、仏法ひろまれ、と思し召すべしとぞ覚え候う」以上。

○ああ、疑心闇鬼を生ずである。如上の文は平和の福音なるを人誤りてラッパの攻め声と聞きたるか。あるいは陣鐘陣太鼓の声なるを予が誤りて平和の教示なりと聞きたるか。読者諸君の御裁決に任すとせん。

○しかし余は幸なり。ラッパも陣鐘も平和の福音と聞けばなり。 多謝多謝。南無阿弥陀仏。



底本:大東仁『大逆の僧 高木顕明の真実 真宗僧侶と大逆事件』風媒社、資料編

 大逆事件記録刊行会『大逆事件記録第二巻 証拠物写』世界文庫 1964(昭和39)年5月30日発行


※表記は底本のままではなく、旧字、旧かなづかいは常用漢字、現代かなづかいに改めています。一部、漢字をひらがなに改めている箇所や句読点を挿入している箇所もあります。

高木顕明(たかぎ けんみょう:1864-1914)

真宗大谷派の僧侶。和歌山県新宮市の浄泉寺12代住職。
尾張国西春日井郡下小田井村(現・愛知県清須市)の生まれ。
真宗大谷派の関係学校、尾張小教校(現在の名古屋大谷高等学校)を修了。
新宮の浄泉寺の住職に就任。
日露戦争に際して国内の仏教各宗派が戦争に協力するなか、非戦論を主張した。
大逆事件で逮捕され、死刑判決に処されたが、後に無期懲役に減刑された。
秋田刑務所で服役中に自殺。享年51歳。

(てつ@み熊野ねっと



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