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大猿の角力

雑賀貞次郎『南紀熊野の説話』

宇井菊珠の旧事談にいう。寛政の頃、新宮に源次という中老あり、某年(旧事談に年の記戦なし)九月十九日の朝、山に入り薪を採り帰ろうとした時、「親仁(おやじ)珍らしいな」と声かける者あり、誰かと見ると高さ七尺ばかりの大猿と五尺ばかりの大猿が立ちてあり、七尺ばかりの大猿は「親仁おれを知っているかという、知らぬというと「親仁が夜更けて木ノ本へ往った時、有馬の松原で上から石を投げたのはおれだ」という。源次は思い当たることがあるので「それは覚えている」と答えた。するとその猿は又いう。「親仁が若い時毎年六月に芝で角力をとるのを梛の木の上から見たが面白かった。今日は久々でここで角力をとって見せてくれぬか」といい。その言葉の終わらぬうち五尺の猿、躍り出で我と取るべしという。源次は一ト投げに投げやらんと、斧を腰にしたまま、立ち向うと、七尺猿はそれを見て「それはあぶない」と斧をぬき取り、柄を右の手に持ち刃の方を左の手で持って座った。さて源次は二番まで立ち向うたが、組むとも覚えぬのに直ぐ投げられ更に気色ばんでかかると三間ばかり脇へ投げ飛ばされた。七尺猿は「面白い面白い」と喜び「親仁も年寄らぬうちならばこうもなかろう、これからは必す若気を出すな」といい斧を返し薪を負わせてくれたが、振りかえって見ると猿の姿は早やなかった。源次は気抜けしたようになり帰宅すると早や日暮れに近くなっていた。猿が人言を話し又角力をとったのは不思議と、源次が翌二十日見根政右衛門に話し政右衛門はその夜菊珠に伝え、菊珠がそれを旧事談へ筆録している。

 

(入力 てつ@み熊野ねっと

2017.4.21 UP




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