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千田川の怪力

那須晴次『伝説の熊野』

田辺

 田辺町江川に昔千田川と言う角力取りが住んでいて、当時日本でも有名な角力取りでした。四国にも強い角力取りが居て一度千田川と角力を取ろうと思って千田川の家へ来て見たが折悪るく、千田川は薪を取りに行った留守でしたので待っていた。

 と千田川の母がもう余程年を取っているのに六十貫位の火鉢をさげて來たので四国の角力取りがおそろしくなつて帰ろうとしました。するとそこへ千田川が百貫程の薪を持って帰って来たので再び驚いた。やがて会津川原の土俵でいよいよ角力を取ることになった。

 両力士が土俵に上ると見るまに、千田川が片手で相手の男を高くさし上げて「天か地か」と言うと、かの角力取りは「天だ」と言ったので天へ高くほり上げられてもんどりうって地上に投げ付けられ、そのまま死にました。これを聞いた四国の角力取りの親類の者が田辺へ強い角力取りが出ないように闘鶏神社へ石燈籠を立てた。それからは強い角力取りが田辺地方に出ないのだそうです。

 さて千田川は大阪に出て当時の関取朝日山の弟子となったが、例の怪力でめきめき昇進して小結となり江戸に赴き徳川将軍の観覧を得てとうとう二代目千田川吉蔵と名のって天下に名を轟かした。

 ある時千田川が錦衣故郷に帰った時、関取の力の程を見せて下さいといったところ、千田川が早速米一俵を借り受け、その先に筆を挿みを墨をつけて、米俵を手にささげ千田川と軽々鮮かに書いて見せた、しかし何といっても十六貫目の米俵を手にしてのことだから千田川の川の字の最後の線がゆがんだそうである。千田川の碑は今元町金比羅権現の表通りにある。碑文は次の如くである。

有力。容貌魁偉。骨法不凡。殆有抜山之勢。及長不事生産。乃去之浪速学角觝於朝日山。朝日山所謂頭取者也。時力士年甫十九。日夜奮□。能究其術。班藉累進至小結。後趨江都。経大君之寓観。名声大噪於四方。実文政四年也。吾候徵而賜以月俸拾口。越十一年春正月疾而死於家。享年三十八。葬于本所万精院。力士為人潔整尚気節以義侠自任。亦為世所知也。挙一男一女男先夭。官時賜二口米。以存其後焉。頃伝其技之徒。懼其名之湮滅。相謀建碑于地蔵寺門外。以表歲時奠供之地云。
弘化二乙已年十二月日   北新町 甚助建之

 

(入力 てつ@み熊野ねっと

2019.7.17 UP



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