御屋敷
那須晴次『伝説の熊野』
富里村大字下川上字安川の大塔山の麓にある。二三段歩の広さである。
元弘の頃護良親王は、大和の十津川から玉置荘司に追撃せられ、御難戦遊ばされし時芋瀬馬之助知時の助けによって、下川上、安川大塔山の麓に御潜み遊されたとの事で、その遺跡を称して御屋敷といっている。御屋敷に続いて丸山があり、御屋敷谷がある。土地は平坦でない。雑草が一面に繁っている。昔は大朔日夜鶏の鳴くのをきいたと。
(入力 てつ@み熊野ねっと)
2019.8.5 UP
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富里村大字下川上字安川の大塔山の麓にある。二三段歩の広さである。
元弘の頃護良親王は、大和の十津川から玉置荘司に追撃せられ、御難戦遊ばされし時芋瀬馬之助知時の助けによって、下川上、安川大塔山の麓に御潜み遊されたとの事で、その遺跡を称して御屋敷といっている。御屋敷に続いて丸山があり、御屋敷谷がある。土地は平坦でない。雑草が一面に繁っている。昔は大朔日夜鶏の鳴くのをきいたと。
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