虫の堂
那須晴次『伝説の熊野』
虫の堂は上芳養村字西山に在り。境内三畝九歩、口碑に人皇九十三代、後伏見天皇の正安二年(今より六百三十年程前)に旱魃あり農作殆ど枯死す。里人この地に集り雨請の祈祷を行う。偶々七月二十三日夜大雨沛然として至る。翌朝小名田間に地蔵尊一体鉦一口あり。里人依ってこの地に小堂を建てて安置す。鉦の銘に常陸国小田地蔵常阿弥陀仏正安二年二月日と刻しありき。
その後この堂に集り虫送りを為せし故事あり。その法は竹の棒を組み合せその上に直径四尺許りの輪を設けこれを台とし笹にて円錐形の物を造り、その中に米の粉を練りたる餅を入れ、一人頭上に御幣を立て「実盛さんの御弔い虫も蝿も御供せ」と口々に呼び立てて村送りを為す。村民いずれも長さ七八寸位の棒を持ち田の周囲を巡り火を点じて下芳養海岸に送出す風習なり。毎年六月初丑の日行う。その費用芳養谷(十三ヶ村)の負担にしてこの笹御興を担ぐ者は肩瘡を患わぬとて遠く富田辺よりも希望者あり中々盛んなりしも、近年は全くその事頽れたり。
(入力 てつ@み熊野ねっと)
2015.8.26 UP