勘右衛門の死
那須晴次『伝説の熊野』
田辺湾に注ぐ会津の流れを遡ぼること二里余にして長野村に至る。自然の風光に恵まれたる山の中の村、永久に平和そのもののようなこの村にこうした伝説があろうとは——翠緑滴る槇山の中腹に、危く転げ落ちんとして辛くも踏み止まった形の大岩石が突兀としてその頂を雑木林の中に露わしている。土地の者はこれを大岩と呼んで罪人の儚なき最後を弔うている。
今から丁度八十年程以前天保年間にこの村に勘右衛門という独りものが居った。放縦の結果の生活苦か、孤独の淋しさを忘れんがためか、夜な夜な作物を荒し留守宅を襲い時に農具、家具に至るまで手当り次第盗み取った。犯人が勘右衛門だという事が早くから知れていたので彼に注意を与えたのは二人や三人ではなかった。けれども彼は依然としてこれを繰り返して更に改めなかった。勘右衛門のこうした掠奪に逢った里人は大なる脅威としておびえ慄え、異端者として彼を悪んだ。
そこで村人は或夜勘右衛門退治に就いて会議を開いた。衆口の一致する所は彼に死刑を加えるにあった。その日は煙る春雨に槇山の頂は見えなかった。今日を最後の勘右衛門はそれと知るや知らずや掘建小屋に夢円らかな午前五時頃村の中央なる地蔵堂には一声の法螺の音が響き渡った。多数の百姓共は竹槍その他の獲物を携えて彼の掘建小屋を包囲した。しかし勘右衛門はこの目に余る大群衆に自ら観念の眼を閉じて少しも抗わずして遁れ遁れてかの大岩の頂に登った。
この時群衆の中に伝五由と呼ぶ男がいた。彼は真先に勘右衛門に近寄るよと見るまに手にした熊手を彼の脳天に打込んだ。ああ凄惨なる光景よ全身血に染った勘右衛門の罪の骸はそこに横たわった。彼は苦痛の瞳を幽かに見開き伝五由を睨んで「貴様の屋敷に必ず草を生やさで置くべきか。」と只一言彼の玉の緒は絶えた。それから星は移り物変ったが伝五由の子孫には決して男の子が生れぬということだ。
(入力 てつ@み熊野ねっと)
2019.7.14 UP