亀の踊り
那須晴次『伝説の熊野』
今より七十余年前大海嘯の有りし時、新庄方面は家屋流失し田辺は火災起り大騒ぎなりしにこの海岸に近き磯間浦へは大浪押し寄せ来たりたるにもかはらず一軒の流失家屋もなく不思議のことに思い居たるに海嘯の四五日前文里湾の砂上に目方八十貫の大亀はい上り居るを磯間の漁夫これを発見し よくよく見れば前足二本共野犬か猫かに噛まれ自由を失い九死のところ不愍に思い両足を繃帯し手をつくしいたわったるもその甲斐なく海嘯の去りし翌日死せり。
漁民八人にてこれを荷い磯間なる覚照寺内へ持来り住職に依頼し施餓鬼を行い同寺の境内へ埋め亀の碑を建てぬ。今にその碑は同寺に存せり。その後誰云うとなくさしもの大津浪が磯間を襲わざりしは彼の大亀が霊顕ならんと依って年々旧盆の七月十四五日は新仏の為に盆踊りをなし、十六日には覚照寺境内の亀の墓前にてその霊を慰むるため亀の踊りを行い村の老幼男女が種々なる変装をなし音頭取の声に鐘の音も冴えて夜中踊りあかすとなり。今日に至るも磯間の漁民は海亀を捕え殺すことなしという。
(入力 てつ@み熊野ねっと)
2019.7.17 UP