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岩屋観音

那須晴次『伝説の熊野』

三栖

 下三栖字岩屋谷にあり。如法寺の南約二町、自然の大洞窟に処しその広さ約三百坪に達する所謂巨人釜をなせる中に一堂宇あり。真に絶境たり。

 ここに僧行基の作なりと伝うる十一面観音の本尊を安置し他に脇立地蔵尊立像及び不動明王の座像あり。その説に曰う。

 寛延二年秋新庄村の某有志等は夢に三夜引続きて鳥の巣観音御本尊告げて、波高きを以て吾れ静なる三栖村岩屋谷の静境に移りたりしと、その夢を見し某等は互に相談して不審に思いその時の東光寺住職通天大和尚に語りしに大和尚も亦同様の夢を見たりと。

 いよいよ不思議に思いここに有志等疑義し凝議してその尊像を岩屋谷に移し奉りしと、依て昔より新庄村より塩売商人本村へ行商する都度その四方岩屋谷山上に初塩を供して後通過せりと、又岩屋谷口の小橋は明治の末世に到る迄尚新庄村より架換に来れりと。本村に遷座し給いてよりは岩屋普門寺と称せられ古来霊所として尊崇を受く。

 その堂宇は洞窟中に掛造られて十五坪の広さあり。その造営は寛延三年庚十月知法寺住職禅佐着生の建設する所たり。今この霊所を尋ねんに辺り畳々たる岩軸の中に堂宇建立されて真に仙境にあるの感あり。

    はるばるとたのみをかける岩屋山祈る仏の影ぞ新たに………(岩屋観音御詠歌)

 

(入力 てつ@み熊野ねっと

岩屋観音は現在は淨覺山報恩寺(通称・善光寺)の管理下にある一堂、岩屋山観音堂。
報恩寺の奥の院とされる。

三栖荘:紀伊続風土記(現代語訳)

下三栖村:紀伊続風土記(現代語訳)

2019.7.14



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