稲成神社
那須晴次『伝説の熊野』
今稲成村にある稲荷神社はもと田辺の紺屋町の在る所に鎮座していたそうである。
文禄元年朝鮮征伐の時杉若越後守の息主殿が船十艘人数六百五十人を率いて出陣しょうとしてこの社に参詣し家来の黒阪という者に命じて社の扉を開かした。社人が「昔からあの扉を開いた事がありませんから止めて下さい」と願ったが黒阪は聞かず、無理に扉を開かせた。すると黒阪は忽ち盲目になってしまったと言う。
また慶長十年領主浅野左衛門佐が社人の諫めるのも聞かないで社の木を伐って船を造らした。その年八月船を沖に出すと破れてしまった。それでさすがの左衛門佐も松千本を植えて罪を謝したそうである。
それから弘仁年中に弘法大師が熊野参詣をした時ここで稲を担いだ翁にあって法義を語り合ったがこの翁が稲荷様であったと伝えられている。
(入力 てつ@み熊野ねっと)
2019.7.14 UP