稲積島の森
那須晴次『伝説の熊野』
神武天皇御東征の時熊野灘にて暴風に遇い給い皇舟漂蕩せし時難を紀南の周参見浦小泊りに避け給ひ暫し寓居せんと思し召され、また稲積には兵糧を積み貯えて舟師を整えんとせらる。小泊りは王泊りにて稲積は糧食を積む意ならむ。中世長禄の頃周参見氏は稲積島に居城すとあり。また島の東面に弁財天を祀りしが明治四十二年二月山崎王子社に遷し奉る。祭神は市杵島姫命にし延宝二年の勧請に係る。
この島は昔より神威荘厳にして船人など妄りに樹を伐りて船に入りなば出帆の時必らず凶事ありとて今もなお恐る所なり。以前は官林なりしが近年払い下げを受けて区有となれり。森の下陰に大谷渡しと称する珍草すこぶる多く繁茂し形蘭に似て風趣豊かなり。
(入力 てつ@み熊野ねっと)
2019.7.25 UP