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エセレンボー

那須晴次『伝説の熊野』

周参見

稲積島

 波涛高く岩に砕けて玉と散る鯨潮吹く熊野灘を我が家ぞとばかり、あるは紅の夕日影を帆一ぱいに浴びながら悠々と漕ぎ帰り、あるは太平洋の真只中で夜通し鰹釣る荒くれ男の漁夫達にも迷信深い伝説が数多く存在している。しかもそれが有り得べき解き得べからざる者とし恐れている。

 今は昔といっても何時頃か更に判らぬが、周参見の沖合にある稲積に「エセ レンボー」と称する鳥とも獣とも判らぬ者が住んでいた。木深い奥の祠に巣を作り漁夫が釣している間に色々と悪戯するのだそうだ。今日も今日とて朝早くから二人の漁夫が稲積島内の糸巻に腰かけて余念なく釣を垂れていた。

 この糸巻島は丁度出ばった平い岩で「うまべ」の木が覆うて木陰になった風通しのよい所である。下は藍を湛えた太平洋の波濤が打っては返し返してはうち寄せている、それに凪の朝など幾十羽とも知れぬ鴎が飛びかい、朝日に閃々と白い腹を見せて美しい光景を呈している。また盥のような夕日が海に沈まんとして空も海も真紅に彩られる頃、間々欧州航路の汽船が黒煙堆裏水平線上を縫うて走っているのは実に点睛の感がある。

 さて黄昏まで釣りを垂れていた二人はつくねんと坐っていたところが今日に限って魚が沢山とれる。お昼までには十数匹も釣り上げた。お昼も簡単に済し獲物は木の枝につりさげ再び釣り始めた。それから約二三時間もたった頃後方に当たって奇妙な叫び声がする。と同時にあった筈の魚が無い「オイ魚が無いぞ」「またエセレンボーにやられたんだな、けどあいつのこったからまあほっとけよ」と語合っていた。でも山の方では例の声がして石を転したり木を投げたりするはてはキイキイと人を笑する。

 こんな事で二人とも夕方になるまで一匹もつる事が出来なかった。あまりのいまいましさに「エセレンボーてなんだ。あれや狸ぢゃないか、四足者(獣)だよそれが恐くってへへ人間様とはいえる者か」とさんざ不平を鳴らして家に帰った。

 由来この稲積島に祀っている弁財天は、四足者が嫌いで四足者が住めぬ事になっている。ところが今まで 「エセレンボー」の正体は何者とも判らぬからまあここに住つてはいたもののはからずも漁夫の口から狸だと知れ神の怒にふれたのか翌朝来て見れば十数匹の狸が屍となって波のまにまに漂っていた。

 口走った漁夫もあまり幸福でもなく暮したという事である。今でも弁財天がある為か、この島中に一匹の獣も無いそうだ。

 

(入力 てつ@み熊野ねっと

稲積島:熊野の観光名所

2019.7.25 UP



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