蟻通し神
那須晴次『伝説の熊野』
ある日のことである吾が日の本は瑞穂の国の南半島ここ紀州田辺に外国から使者がやって来た。見れば面構え心にくいまで猛く態度も傲慢でどうやら腹には一物有りげな様子、さて徐ろに口を開いて曰く「俺の国の武威は四海に輝いて誰知らぬ者もない筈、さて俺はここに諸神と約束をする事にする。それは今問題を出すがそれを解き得なかったならそちらの国は俺の国の属国とする」と言う事 だ。勿論誰も解き得まいと思っての相談である。胸の中には瑞穂の国を己れの属国にしようとの魂胆がありありと読めた。
諸神進み寄って「問題と云うのはどんなものか」と尋ねると使者ふんぞり返ってロ辺に嘲りの笑をたたえながら「問題というのはこれだ。ここに法螺の貝を俺が持参して居るが、勿論この貝尻には穴をあけて居るがこの貝の中に一本の糸を通してもらひたい」と言ってにやりと無気味に笑った。諸神は大に驚いた。なぜならばこの貝の内部はもとより非常に複雑な穴であるからである。どうして糸を通したものであろうかと諸々の神々達は額鳩首めて相談したがどう考えてもいい思案はなかった。
この時ひとりの神が進み出て「私にどうかその事を任して下さい、きっと糸を通して見せよう」 と言った。使者は言うに及ばず諸神も驚いて目を見はった。その神を凝っと観ればまだ若神で名も知られて居ない神であった。
やがて神は蜜を持って来て貝の口からどんどん流しこんだ。蜜はさすがに複雑な穴を通り抜けて貝尻の穴へ流れ出た。すると神は蟻を一匹捕えてこれに糸を結んで貝の口から追い込んだ。蟻の鼻先は甘い蜜に心を奪われて次から次へと蜜を追って遂にあの複雑な法螺貝の穴を何の苦もなしに通り抜けた。見れば後には初めの通り糸を結んで居る。さすがの法螺貝にも今は全く完全に糸が通った。これを見た使者は「日の本の国はやはり神国である」と恐れその智慧に感服して遠く逃げ帰ってしまった。諸神大に喜んで「さても瑞穂千足の国にもこれほどの賢神のあるのを知らなかった」と大にその神の奇智を褒めそやした。そして蟻によって糸を通した事によって蟻通し神と申し上げた。
これこそ西牟婁郡田辺町字奏の土産神である。
不思議にも蟻にせめられて苦しんで居る時に、この社の石を持って来て家に置けば蟻にせめられる事を防ぐといわれている。
(入力 てつ@み熊野ねっと)
2019.7.18 UP