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秋津の鶴

那須晴次『伝説の熊野』

下秋津

 秋津のある山辺にとある富豪が住んで居た。大きな庭の彼方には小高い巌が聳えて居た。その巌の窪にある年鶴が巣をかけて一個の卵を生み落とした。

 さもしい戯に一時の面白味を託するのはやはり人間だ。する事もなしに庭を歩いて居た園主には好奇の光がただよい始めた。間もなく彼は沼の家鴨の卵とそれを取り換えて置いたのだった。

 雌鳥はそれとも知らない。唯優しさと限りない慈しみでそれをあたためてはあたためた。日は経てどんな悲しみが雌鳥の美しい眼を引掻きまわしたろう。巣の中にはあの醜い嘴のだだっ広い黄色な家鴨の子が居たんだ。

 雌と雄の互に見合わす眼にどんな驚きと悲しみが人知れず籠って居た事だろう。やがて雌雄の鶴はさも悲しい叫びをつづけながら青空高く舞い上ると、見るまに二匹はどことも知れずに去ってしま つた。

 幾日か経てそれ等は多くの友を連れて来た。やはり友達等も悲しそうに鳴くばかりどうしようと言う考えもないらしかった。もうもどかしさに堪えられなくなったのか、一羽は巌にあの白い体をうちつけて、断末魔の羽ばたきをしながら無惨な死を遂げた。一つは沼に陥って死んでしまった。そして呪に迷ふ二つの雛ばかりが残されてしまった。

 それ等を静かに高樓から見て居た園主の顔には言い知れぬ憂と悶の影がただよい始めた。「救われない罪」面白くもない日はそれから毎日のように続いた。庭の木は枯れる、田や畑は壊れた。自分の富の廃減を見つめて居る園主には自分の過去の如何に鶴への戯によく似た運命の繰返されて居た事を思って今更のように戦きの止まないのを感じた。家は消えはてて今は早や土地の人々にも忘れられた。そして草原ばかりが残って居る。

 

(入力 てつ@み熊野ねっと

下秋津村:紀伊続風土記(現代語訳)

2019.9.4 UP



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