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その瞬間

管野須賀子〔管野スガ〕

 嬉し涙が二つ三つ、ハラハラと落つる雨の中、扇ヶ浜辺のそれにも似たる、弓なりに並びて、手にせる火影に思い思いの足元をてらしつつ、ひっそりと声も無う、厳めしき監獄(しとや)の小門なる、弱き灯の微かに洩るる、三ヶ月形の郵便差入口へ、ヒタと集めし視線は百。

 寂たり、莫たり、一分、二分、三分、声は遙かの、磯に砕くるの音のみ。

 俄然! 人の気配はしぬ。視線の主はどよめきぬ。

 と、たちまち、ギーと、嘲笑う悪魔の唸き、門は開けり。咄嗟、

 万歳……とにはあらねど、何やらんひくき叫びと、五十の口を一時に洩れて、いま出で来し人に、力込めて引かれし網の如く、サと寄りぬとき、

「ヤ諸君、この深更(よなか)の、雨の降るのに……」

 オオそは、そは絶えて久しき、我が社長の声なりき。

 さても弱き我や、

 その瞬間、言い知らぬ思いに、覚悟の胸は波打ちぬ。さても、さても、

 弱き我や、その瞬間!!!

〔幽月女『牟婁新報』第585号・明治39年(1906年)4月30日〕



底本:「管野須賀子全集 2」弘隆社
   1984年11月30日発行

※表記は底本のままではなく、旧字、旧かなづかいは常用漢字、現代かなづかいに改めています。一部、漢字をひらがなに改めている箇所もあります。

管野須賀子(かんの すがこ)

本名、管野スガ(かんの スガ)。明治時代の新聞記者、社会主義者。
女性の解放と自由を求めた女性ジャーナリストの先駆者。筆名は須賀子、幽月。
国家権力によるでっち上げの事件「大逆事件」で死刑に処された12人のうちのただ1人の女性。享年29歳。

明治14年(1881年)6月7日、大阪市に生まれる。
明治35年(1902年)7月1日、『大阪朝報』の記者になる。
明治38年(1905年)10月頃から和歌山県田辺町の地方新聞『牟婁新報』の社外記者になる。
明治39年(1906年)2月4日、『牟婁新報』に社主・毛利柴庵の入獄中の臨時の編集長として招かれて赴任。毛利柴庵の出獄後、5月29日に退社。
明治43年(1910年)6月1日に大逆罪で逮捕される。
明治44年(1911年)1月18日に死刑判決を受け、7日後の1月25日に死刑に処される。

(てつ@み熊野ねっと

2023.7.4 UP



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