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肱鉄砲(ひじでっぽう)

管野須賀子〔管野スガ〕

※内容的には熊野関連の文章ではありませんが、田辺近辺の『牟婁新報』の女性読者に向けて女性の解放を訴えた文章なので掲載しました。(てつ)


必要の一物

 曰く婦人問題、曰く女学生問題、と近年にわかに女の問題は、いわゆる識者の口に筆に難解の謎の如く、是非論評せらるるに至れるが、しかもその多くは身勝手なる男子がやや覚醒せんとしつつある、我等婦人の気運を見て、驚きのあまり我田引水の愚論を喋々せるものにして、耳を傾くるの価値あるものは、ほとんど皆無と言いても差し支えなき程なり。

 そはともあれ、わらわは今、言やや極端なるに似たれども、今日の婦人にもっとも必要なる、一物を望まんとす。

 何ぞや、堅固なる肘鉄砲これなり。

何故ぞや

 何故、肘鉄砲を要するや。

 これを説く前に、まず婦人諸君に借問したきは、諸君はたしてその身の境遇に絶対の安心を得て、満足しおらるるや否やの一事なり。

 わらわの見るところを以てすれば、多年の習慣上、表面だけは余儀なく平和を粧い安心らしく見せかけおるも、極く少数を除く外の婦人は、総てことごとく衷心に何等かの煩悶を横たえ、不安の思いに戦々恐々たる事実を発見するなり。何故ぞや。

男子の貞操

 男子に貞操なければなり。

 およそ世に厄介なるものも少なからねど、わらわは男子程厄介なる者はなしと思ふ。わらわは男子の(暁天の星なる真の純潔なる士は例外)口より婦人貞操論を聞く度に、常にチャンチャラおかしくて噴飯しおるなり。しかして耳を傾くる前に、まずお手許拝見と叫ばざるを得ざるなり。社会の滔々たる男子が、臆面もなく婦人貞操論を口にするイケ図々しさに至っては、ただただ、呆れ入らざるを得ざるなり。

 これ畢竟、婦人を奴隷視し、侮辱するの甚だしきものなればなり。

 わらわは、我が婦人諸君が起って、何故男子貞操論を絶叫せざるかを、頗る奇怪とする者なり。

悲しい哉

 故にわらわは、今日の汚れたる男子の口より吐き出さるる、いわゆる賢妻良母なる語を、蛇蝎の如く嫌忌し、常に冷笑を以て迎へつつあるなり。腐敗堕落せる彼等男子に、何すれぞ貞操を強ゆるの権利ありや。彼等が婦人に対して貞操を強い、賢妻良母を説く前に、何ぞ男子自ら貞操を全うして、賢父良夫たらざるや。世に矛盾多しといえども、恐らくかくの如き大矛盾はなかるべし。

 されど悲しいかな、現今の社会制度においては、この大矛盾、大侮辱をもなおかつ忍んで、総ての婦人が男子の奴隷とならざるを得ざるは何故ぞや。これ畢竟、生活の不安という根本の一大問題のあればなり。

奮起せよ

 この根本問題の解決は、もちろん社会主義に待たざるべらずといえども、しかも我等婦人はなおそれ以外に、この我儘勝手なる男子閥とも戦はざるべからざるなり。

 奮起せよ婦人、覚醒せよ婦人。

 労働者の資本家に対する階級打破のそれに比して、我等婦人が男子閥に対する平等自由の要求は、ただ己が意志一つにて、声を上げず、血を流さず、至って容易に得らるるにあらずや。

 暴横なる男子を排斥せよ、貞操なき男子を排斥せよ、堕落せる男子を排斥せよ、しかうして彼等に反省を与えよ。

 卿等は百万トンの甲鉄艦にも増し、百インチの砲弾にも優る、男子排斥の一大武器たる肘鉄砲を有するにあらずや。

肘鉄砲の一斉射撃

 我が婦人諸君よ、一致団結して男子閥を打破せられよ、ことに未婚の婦人よ、堅固なる肘鉄砲に常に戦闘準備を怠るなかれ、安心なき結婚に、何の幸福かこれあらんや、貞操なき男子との同棲に、何の愉快かこれあらんや、わらわは我が婦人諸君が、この有力なる最大武器を、我が権利保護のために利用するを知らずして、ただいたずらに暴横なる堕落男子の枕以外に用いざる、その不甲斐なさを、常に痛嘆する者なり。

 起てよ婦人。

 起って諸君が団結して、肘鉄砲の一斉射撃をせられなば、男子は立どころに降伏して、卿等の足下にひれ伏し、泣いて哀を乞うや必然なり。

 結婚を急ぐなかれ、売買結婚に甘んずるなかれ、しかして己れの修養に勉めよ。

 かくて始めて、理想の家庭をつくるを得べし。

 奮起せよ婦人、磨け肘鉄砲を。

〔幽月女『牟婁新報』第580号・明治39年(1906年)4月15日〕



底本:「管野須賀子全集 2」弘隆社
   1984年11月30日発行

※表記は底本のままではなく、旧字、旧かなづかいは常用漢字、現代かなづかいに改めています。一部、漢字をひらがなに改めている箇所もあります。

管野須賀子(かんの すがこ)

本名、管野スガ(かんの スガ)。明治時代の新聞記者、社会主義者。
女性の解放と自由を求めた女性ジャーナリストの先駆者。筆名は須賀子、幽月。
国家権力によるでっち上げの事件「大逆事件」で死刑に処された12人のうちのただ1人の女性。享年29歳。

明治14年(1881年)6月7日、大阪市に生まれる。
明治35年(1902年)7月1日、『大阪朝報』の記者になる。
明治38年(1905年)10月頃から和歌山県田辺町の地方新聞『牟婁新報』の社外記者になる。
明治39年(1906年)2月4日、『牟婁新報』に社主・毛利柴庵の入獄中の臨時の編集長として招かれて赴任。毛利柴庵の出獄後、5月29日に退社。
明治43年(1910年)6月1日に大逆罪で逮捕される。
明治44年(1911年)1月18日に死刑判決を受け、7日後の1月25日に死刑に処される。

(てつ@み熊野ねっと

2023.6.11 UP



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