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檀風

『謡曲三百五十番』No.211

※鎌倉時代末期、後醍醐天皇の倒幕の企てに参画した日野資朝(ひのすけとも)は佐渡島に流され、本間三郎の居城に幽閉されていた。資朝の子梅若は父に会うために佐渡島に渡り、父の最期に会う。梅若は本間を父のかたきとし、熊野山伏帥阿闍梨(そつのあじやり)の助けを得て討ち果たす。追っ手がかかるが、熊野権現の加護で無事に都に帰る。作者不詳。


季節:六月
ワキ:帥阿闍梨
子方:梅若
ツレ:日野資朝
ツレ:本間三郎
トモ:本間の従者
後シテ:不動明王
後ツレ:船頭
狂言:追手

<赤尾照文堂『謠曲二百五十番集』>

 

本間詞「これは佐渡島の御家人。本間の三郎にて候。扨も此度元弘の合戦に公家うち負け給ひて候。中にも壬生の大納言資朝卿は。囚人となり此島へ流され給ひて候ふを。某預り申して候。色々痛はり申す所に。昨日鎌倉より飛脚立て。資朝卿は大事の囚人にて候ふ間。急ぎ誅し申せとの御事にて候ふ程に。痛はしながら明日浜の上野にて誅し申し候。此由を資朝卿へ申さばやと存じ候。 

本間狂言セリフアリ「。

ワキ子方次第「親の行方を尋ね行く。/\。越路の旅ぞはるけき。

ワキ詞「かやうに候ふ者は。都今熊野梛の木の坊に。帥の阿闍梨と申す山伏にて候。又これに御座候ふ御方は。壬生の大納言資朝の卿の御子息。梅若子と申し候ふが。さる子細あつて我等が坊に御座候。資朝の卿は流人の身となり給ひ。佐渡の島に流され給ひて候。梅若子いまだ父のこの世に御座候ふ由を聞し召し。今一度御対面ありたき由仰せられ候ふ間。余りに御心中いたはしく存じ。我等御供申し。唯今佐渡の島へと急ぎ候。

道行二人「名残ある都の空は遠ざかり。/\。末は遥の越の海。今ぞ始めて白真弓敦賀の津より舟出して。波路遥の旅衣。浦々泊重なりて行けば沖にも里見ゆる。佐渡の島にも着きにけり/\。 

ワキ本間狂言セリフアリ「。

本間詞「都よりの客僧は何処に渡り候ふぞ。

ワキ「これに候。唯今申し入れ候ふ如く。これは都今熊野梛の木の坊に。帥の阿闍梨と申す山伏にて候。又これに渡り候ふ幼き人は。資朝の卿の御子息。御名をば梅若子と申し候。資朝の卿は流人となり。此島に御座候ふ由聞しめし及ばれ。今一度御対面ありたき由仰せ候ふ程に。遥々これまで御供申して候。然るべきやうに御申し候ひて。引き合はせ申されて賜はり候へ。

本間「委細承り候。総じて囚人のゆかりなどに対面は堅く禁制にて候へども。幼き人のはる%\これまで御下向にて候ふ程に。其由資朝の卿へ申し候ふべし。暫くそれに御待ち候へ。

ワキ「さらばこれに待ち申し候ふべし。

ツレサシ「籠鳥は雲を恋ひ。帰雁は友をしのぶ心。それは鳥類にこそ聞きしに。人間に於て我ほど物思ふ者はよもあらじ。

詞「実にや科なうして配所の月を見る事。古人の望む所なれども。住みはつまじき世の中に。明暮物を思はんより。天晴とう斬らればやと思ひ候。

本間詞「あら痛はしや何事やらん独言を仰せ候ふよ。いかに申し候。本間が参りて候。

ツレ「本間殿と仰せ候ふか此方へ御出で候へ。

本間「唯今参る事余の儀に非ず。昨日鎌倉より飛脚立つて。急ぎ誅し申せとの御事にて候ふ程に。明日浜の上野に御供申し。御痛はしながら誅し申し候ふべし。御最後の御用意あらうずるにて候。

ツレ「唯今も独言に申し候ふ如く。かくてながらへ人に面をさらさんより。天晴とう斬らればやと望みし事。さては叶ひて候ふよ。

本間「又御悦のあるべき事の候。都今熊野梛の木の坊に。帥の阿闍梨と申す山伏の。御子息を伴ひ遥々御下向候。そと御対面候へ。

ツレ「これは思ひもよらぬ事を承り候ふものかな。以前も事の序に申す如く。某は総じて子を持たぬ者にて候。定めて門たがひにて候ふべし。急いで追つ帰され候へ。

本間「何と御子は持たれぬと仰せ候ふか。

ツレ「なか/\の事。

本間「さては聊爾なる事を申す者にて候。やがて追つ帰し候ふべし。

ツレ「暫く。都の者と聞けばなつかしく候ふ間。そと見申したく候。

本間「さらば物越より御覧候へ。あれなる人の事にて候。あら不思議や。御子息にてはなき由仰せられ候ふが。何とて御落涙候ふぞ。

ツレ「御不審尤にて候。かの者の親も我等如きの流人にて候はんが。配所を聞きちがへ来りたるかと。かの者の心中不便に存じ。さて落涙仕りて候。

本間「さあらば追帰し申し候ふべし。

ツレ「急いで御帰し候へ。

本間「心得申して候。最前の客僧は何処に渡り候ふぞ。

ワキ詞「これに候。

本間「仰の通りを資朝の卿へ申して候へば。総じて資朝の卿に御子は御座なきよし仰せられ候。何とて聊爾なる事をば承り候ふぞ。

ワキ「あら不思議や。某が申しつる通おほせ候はば。やはか左様には仰せられ候ふまじ。

本間「言語道断。かゝる口惜しきことを承り候ふものかな。弓矢八幡氏の神も御照覧あれ。懇に申して候。その上資朝の卿に御子は御座なき上は候。近頃聊爾なる事を承り候ふものかな。此上は某は一向に存ずまじく候。

ワキ「なう/\暫く。あら笑止や。いかに梅若殿。唯今本間が申しつる事を聞し召されて候ふか。思もよらぬ御事にて候。

子方「悲しやな遥々尋ね下りたる。かひも渚のかたし貝。あはぬ思を如何にせん。

ツレ「我も恋しく思子を。最期に見たくは思へども。我が子と名のらば敵とて。もしや命を失はれんと。思へば他人と言ひつるこそ。中々思ふ心なれ。

子方「一世と兼ねたるこの世にだに。添ひもはてざる親子の中。

ツレ「況してやいはん後の世の。

ツレ子方二人「契もさぞな逢ふ事も。泣くや涙にかき曇り。

地「姿みゝえぬ親と子の。隔の雲霞。立ち添ひながらも実に逢はぬ事ぞ悲しき。

ロンギ地「今日御最期に定まれば。痛はしながら力なく。武士輿に乗せ申し浜の上野に急ぐなり。

ツレ「かねて期したる事なれば。惜しき命にあらざれど。さすが最期の道なれば心すごきけしきかな。

子方「梅若父の御最期と。聞くより目くれ肝消え。起きつまろびつ泣く/\御輿の跡につきて行く。

地「御輿を早め行く程に。浜の上野も近くなる。

ツレ「波路たゞよふ磯千鳥。

ワキ「沖の鴎も音をそへてあはれさや増さるらん。

地「御首の座敷これなりと。輿よりおろし申せば資朝敷皮の。上に直らせ給へば。武士立ち寄り。御後ろに立ちまはり御十念と勧めけり御十念と勧めけり。

子方詞「なうみづからこそこれまで参りて候へ。

ツレ「何とて是までは下りたるぞ。最期は今にてはなきぞかたはらへ忍び候へ。いかに客僧まづ其方へ召され候へ。いかに本間殿へ申し候。近頃面目もなき申し事にて候へども。まことは某が子にて候。この上は本間殿を頼み申し候。いまだ幼き者の事にて候ふ程に。あはれ御心得を以て。かの者を助け給ひ。都へ送り給ひ候へかし。

本間「かゝる痛はしき事こそ候はね。我等も始よりさやうに見申して候へども。深く御隠し候ふほどに申さず候。梅若殿の御事は。明けなば早船を拵へ。都へ送り付け申し候ふべし。御心安く思し召され候へ。

ツレ「これは真にて候ふか。

本間「なか/\の事。弓矢八幡も御知見あれ。都へ送り付け申さうずるにて候。

ツレ「さては此上に思ひ置く事もなく候。はや/\首を打ち給へと。

地「西に向ひて手を合はせ。/\。南無阿弥陀仏と高らかに。称へ給へばあへなく御首は前に。落ちにけりおん首は前に落ちにけり。

本間詞「如何に客僧へ申し候。資朝の卿の御事は。囚人にて御座候ふ間力なき事にて候。梅若子の御事は御遺言の如く。明日御船を申し付け。都へ送り申し候ふべし。御心安く御休み候へ。

ワキ「懇に承り有難う候。明日都へ御送り頼み申し候。又御死骸を賜り孝養申したく候。

本間「なか/\の事御心静に御孝養候へ。我等は私宅に帰り候ふべし。梅若子を御供あつて。やがて御出あらうずるにて候。

ワキ「心得申し候。

本間「いかに面々聞き候へ。此間の番にさぞくたびれ候ふらん。今夜は皆々私宅に帰り休み候へ。某も臥所に入つて心静に夜を明かさうずるにてあるぞ。其分心得候へ。

ワキ「いかに梅若子へ申し候。これは本間殿の館にて候。今夜は御心静に御休み候へ。明けなば舟を仕立て送り申すべき由申され候。御心安く思し召され候へ。

子方「いかに申すべき事の候。

ワキ「何事にて候ふぞ。

子方「本間を討つて賜はり候へ。

ワキ「あゝ暫く候。まづ御心をしづめて聞し召され候へ。本間は一旦囚人を預りたるまでにてこそ候へ。真の親の敵は。相模の守高時こそ敵にて御座候へ。それは都へ御上り候ひて。自然の時節を御待ち候へ。

子方「いや目の前にて討ちたるこそ親の敵にて候へ。

ワキ「実に/\仰は尤にて候へども。この島国にて人を討つては。さて御命をば何と召され候ふべき。唯思し召し御止まり候へ。

子方「たとひ命は失ふとも。討たでは叶ひ候ふまじ。

ワキ「仮令命は捨つるとも討たでは叶ふまじきと仰せ候ふか。かゝるけなげなる事を仰せ候ふものかな。此上は討つて参らせ候ふべし。しかもかの者申し候ふは。内の者共も。此程の番にくたびれてぞあるらん。先々私宅に帰れ。其身も臥所に入つて夜を明かさうずる由申し候ひし程に。討つべき夜には日本一の夜にて候。御本望にて候ふ程に。一の刀をば梅若子あそばされ候へ。二の刀をば此客僧仕るべし。もし又かの者起き合はせ。討ち損ずる物ならば。人手にはかゝるまじ。梅若子と刺しちがへ申し候ふべし。こなたへ御入り候へ。あら笑止や。いまだ火が消えず候ふはいかに。何のためにか夏虫の。身を焦がすべき火を取らんと。

子方「明り障子に飛び付きたり。

ワキ詞「これこそ消すべき便なれと。障子を細目に明けゝれば。

子方「虫は喜び内に入り。

ワキ「すは火はばつと消えたるは。

地「灯ともに敵の命今こそ消えて失すべけれ。ひそかにねらひより。/\。守刀を抜き持つて。本間の三郎が。胸のあたりに乗りかゝり。三刀まで刺し通し。縁を飛びおり逃げければ。追手は声々に。留めよ/\と追つかくる。

狂言「やるまいぞ/\。さればこそ京より下りたる山伏の。帥の阿闍梨とやらん。粗忽を仕出さうずると存じ候。まづ浦々へ追手を懸け候へ。

船頭詞「此程風を待ち候ふ所に。日本一の追手が吹き候ふ程に。舟を出さばやと存じ候。

ワキ「はや抜群にのび来りて候。又あれに出船の候。あの船にのせ申さうずるにて候。なう/\その船に便船申さうなう。

船頭「御覧候へこれは柱を立て。帆を引きたる船にて候ふ程に。未だ出でぬ舟に仰せ候へ。

ワキ「これは親の敵を討つて。跡より追手のかゝる者にて候へば。ひらに乗せて賜はり候へ。

船頭「殊更さやうの科人ならば。なほ此舟には叶ひ候ふまじ。

ワキ「よし科人は此客僧。よし客僧をば乗せずとも。此児ひとり乗せて給べ。

船頭「児も法師も知らぬとて。なほ此舟を押して行く。

ワキ詞「あゝ其船よせずは悔しき事のあるべきぞ。

船頭「何の悔しくあるべきぞ。舟棹だにも忘るゝは。風に出舟の習なり。

ワキ「さてこの風は。

船頭「東風の風。

ワキ「向うて西に為さうぞえい。

船頭「あら忌はしや聞かじとて。なほ此舟を押して行く。

ワキ「暫しと言へど。

船頭「留めもせず。

ワキ「暫しと言へど。

船頭「音もせず。

地「舟は波間に遠ざかれば追手は後に近づきたり。

ワキ詞「あら笑止や。頼みたる舟は遠ざかる。追手は後に近づく。さて御命をば何と仕り候ふべき。某急度案じ出したる事の候。我この年月三熊野の権現へ歩をはこびしも。かやうの為にてこそ候へ。海上に三所権現を勧請申し。ならびに不動明王の索にかけて。あの舟をふゝたび祈り戻さうずるにて候。やあ/\其舟戻せとこそ。よせずは祈り戻さうずるぞ。

船頭「何此舟を祈り戻さうとや。

ワキ「なかなかの事。

船頭「山伏は物の怪などをこそ祈れ。舟祈つたる山伏は未だ聞かぬよ。

ワキ「いやいかに云ふとも悔まうぞ。悔むな男。

地「台嶺の雲を凌ぎ。/\。年行の。功を積む事一千余箇日しば/\身命を捨て熊野。権現に頼を掛けば。などか験のなかるべき。一矜羯羅二制多伽。三に倶利迦藍七大八大金剛童子。東方。

早笛「。

ロンギ地「不思議や東の風変り。西吹く風となる事は如何なる謂なるらん。

シテ「本宮証誠殿。阿弥陀如来の誓にて。西吹く風となし給ひて舟をとゞめ給へり。

地「さて又西の風も止み。こち吹く風となる事は。

シテ「新宮薬師如来の。浄瑠璃浄土は東にて。東風吹く風となし給ふ。

地「さて又飛龍権現は。

シテ「波路に飛んで影向す。

地「滝本の千手観音は。

シテ「二十八部衆の。風変舟を早めたり。

地「さて飛行夜叉は。不動明王の。索の縄を船につけて。万里の蒼波を片時が程に。若狭の浦に引きつけて。それより都に帰し給ふ。実に有難き三熊野の。/\。誓の末こそ久しけれ。

 

** JALLC TANOMOSHI project No.1 ** ** 謡曲三百五十番集入力 **より
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飛行夜叉は熊野十二所権現の一、本地仏は不動明王。

2018.11.3 UP



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