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那智の滝

佐藤春夫

那智の滝

 瀞八丁か那智の滝を語れといふ。かう涼しくては書くにも面白くないが、望郷の思ひに促されて筆を執る。

 しかし瀞の遊びはもう三十年のむかしの事である。いかに印象が深いといっても、思ひ出して見ると水底に遊んでゐた魚蝦のひつそりとした動きが目の前に浮び出る位の事で、景の大観の方はかへつて忘れてしまつてゐるから、ただ一場の昼寝の夢の涼しさを説かうとするやうなおぼつかなさである。この夏はもう一度行つて印象を洗ひ出して来よう。

 那智の方は度々行つてみるからよく知ってみる。最近でも去年も見てゐる。しかし印象は最近のものが最も鮮明とも限るまい。

 巨きさといふ点では、那智は決して大したものではあるまい、すくなくも華厳などの敵ではない。しかし形のすなほに美しいといふ点では、天下無類と号して、山は富士、滝は那智といつても必ずしもお国自慢と笑はれまい。古人がおの〳〵これを御神体にして拝したのも無理ではない。それほど端麗優美である。誰やらがこれを詠じた五言の結句に、春山眉月斜とあつたがなるほど春山、眉月などがふさはしく、聯想されるものである。

 橘南船が南遊記に美人の羅衣を纏ひて立てるが如しといつたのも、一片の麗句ではなく神を伝へ得てゐる。水音のひびくあたりに目をあげて望むと一直線にすんなりと、背すぢゆるやかにうねつて落ちる線を美人の立ち姿と見よう、折から風が来て飛沫の吹きなびくさまが羅衣に似てうゐる。いつぞやこの羅衣の裾にくるまったことがあった。しかし美人は仙女だから、たとひ脚線は見透しでも、俗念は断たれて猥雑な念慮などとんと起らない。涼しいだけである。

 日ざしの工合であたりに小さな虹が幾重にも見えてゐた。滝壺から四、五間はなれたあたりであつた。さすがに風を生じてゐたが水勢はあまり激しくなかった。ただあたりがしぶきに煙つて眼鏡がかすむから、苔のなめらかな足もとを互に戒めて、乱石の角をつかまつて進むのである。文覚の荒行をしたのはこゝではなく、滝壺からもう一段下に流れ落ちる小さなのがある、それであるとかいふ。どうでもよからうが、一の滝の直下なら、鯉でない限りいかに文覚でも脳貧血位は起りさうである。 杉の梢を透して滝口を見上げて

 あそこに小さな木が一本横さまに差出してゐるでせう、あれにつかまつて下を見おろした事がありますよ、つい三、四年前、そいつは豪気だな、なに誰でもやる事です、どうです登つて行つてごらんになりませんか、すぐそこから少し入ると登れる道があります、嶮しいけれどかづらにつかまつたり岩角を踏みしめたりして行けばわけはありませんよ。せいぜい二、三町ですから、でも、まあよして置きませう。つい死にたくなつて飛びこんだりしたら厄介ですからな。

 この対話の相手は生田長江先生であつた。さうするとついこの間のやうに思ひ出すが、これもやつぱり殆ど卅年前のこと、自分はまだ十八かそこら、すると長江先生は廿八でをられたらうか。よくじやうだんを仰言つたし、つい死にたくなつて飛び込んだことも笑つて聞いてゐたが、今にして思ひ出すとその底に一抹の実感がなかつたともいへまいと、さびしさをおぼえる。もういゝかげん俗界へ上つて見ますかな、あまり冷え込んでも悪い——いや勿体ないでせう。

 先生が先に立つて岸へ登つて行かれた。気がついて見たら眼鏡を岩の上に置き忘れて来たといふので、御自分で行かうとする先生を押しのけて僕が引きかへして取つて来たことがあった。噫、卅年。一瞬の如しである。その間に那智の水はどれぐらゐ落ちたか。

 勝浦港の湾内に清水の出る井戸がある、海中から清水が湧くのである、土地の人は那智の水の筋にあたつてゐるといふ。同じく那智山麓の南方玉の浦の土人がブツブツと呼ぶ泉がある。沸々と気泡を伴つて清例無比の水が湧いてゐる。こゝにどれだけ長く足を入れてゐられるかと子供等が競争してゐる——ま夏のさ中でも、五分はむづかしいとか。

底本:『定本 佐藤春夫全集』 第22巻、臨川書店

初出:1938年(昭和13年)8月6日発行の『東京日日新聞』の「学芸」欄に掲載

(入力 てつ@み熊野ねっと

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2015.8.25 UP

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