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熊野路

佐藤春夫


【おあしお金(かね)はつかみどり こんな時節はあらがねの 土ほぜりより 玉くしげ 二つどりなら山かせぎ】

 金銭がまるでつかみどりともいふべきこの未曾有の好時節、荒金の土ほぜりといふと鉱山事業のやうに聞えるが、熊野地方にも銀や銅などの小鉱坑は無かつたでもないけれど温泉の豊富にも似ず一帯にこの方面ではあまり恵まれぬ地方だつたから、この句はつかみどりを受けながら事実の背景がないためにあまり働きがないわけである。寧ろ、あら金をただ土の枕詞として以外に意味のないものに見て、土ほぜりよりを農業と解して見よう。

つみとるもあはれ确(そね)田のやせ稲穂手に充(み)つばかりあらばこそあらめ

諸平をして歌はせた如く、この地方では平素からあまり酬いられないこの田園の労働者が山稼ぎの人々を羨望するのも道理である。あら金、土につづけて今度も縁語の玉くしげと言葉のあやを見せた枕詞のあとに二つどりなら山稼ぎといふのは賃銀がよくなつた上に役徳の木皮(こっぱ)も上値、余業ともいふべき運搬の賃までが上つて二重の利得のある山稼ぎの請ひであらう。

 先の「きのえね」のやうな二重三重の掛け言葉や、このあたりの縁語などは古来からある句法でありながら近代は言葉の遊戯として排斥されてゐる修辞法であるが、とかく単調に平面的な日本文にこの手法のあるのは決して偶然ではない。この篇のやうな狂体でなくともこれ等の手法は現代でも採用されていい修辞ではあるまいか。

西洋にないからといふので一がいに排斥するのは故のない事であらう。仮りにまじめな文章の間でもかけ言葉の一はうれしい意味を表し、半面には悲しい意味を持つてゐるやうな事があつたら、奇妙に複雑なペーソスを表現するに役立ちさうに思ふ。西洋でもE・Aポーなどにそんな修辞の例も乏しくなかつたとおぼえてゐる。

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底本:『定本 佐藤春夫全集』 第21巻、臨川書店

初出:1936年(昭和11年)4月4日、『熊野路』(新風土記叢書2)として小山書店より刊行

(入力 てつ@み熊野ねっと

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2015.11.7 UP



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