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紀南風景の美と複雑性と

佐藤春夫

古座川の一枚岩

 東京の人で紀南の風景を間ふ人があると、自分はいつも伊豆に似てゐると答へて置く。先年紀南に遊んだ事のある、三好達治もこれを承認して、しかし、紀州と伊豆とではまるでスケールが違ふといふ。それは申すまでもなく、天城山と大峰山との割合がそつくりそのまゝ紀州の風景と伊豆のそれとの比例であらう。三好は紀州に遊んで以来久しく愛してゐた伊豆の風景を独立した風景とより、ただ紀州の離形のやうに思へて気に入らなくなつてしまったといふ。いつぞや浜本浩が来て紀州を郷里の土佐に似てゐると話してゐた。さもあらうと思ふが自分は土佐を知らない。

 或る時、日本の風景美を語る座談会で、和田三造画伯が紀南の風景を激賞して、曾遊の地のうち先づ指を屈すべき所としてゐた。その理由として、海あり、山あり、渓谷あり、河川あり、瀑布あり、紀南には備はらぬものなく、備はるものは皆雄大と言つてゐた。それならば紀南の熊野地方の風景のうち最も印象の深いのはといふ問に対して、和田氏はやはり瀞八丁、潮の岬、古座の渓の一枚岩、それから木ノ本の鬼ケ城を加へると、これも不賛成ではなかつた。自分も他のものに異存がないうちで、たゞ古座渓の一枚岩だけはまだ見たことがなかった。和田氏はこれを憫れみ、次の機会には必ず一見せよといふ。一枚岩の名は実を表現し足りないが、一個の巨岩がそつくりそのまゝ一つの山になつてゐると言つたら一番早判りであらう。驚くべき壮んな風景であると語に力を入れた。

偶この夏帰省中、和田氏の談を思ひ出したので行つて見た。以前は古座川を遡つて可なり不便な個所であつたらしいが、今は古座川から自動車で平坦な路を往復二時間かそこらの道程である。途中古座川の両岸も南画風の奇岩が応接に遑がなかつた。時間さへあれば往は車、帰りは川舟が理想的だらうかと思つた。一枚岩は和田氏の説明の通り、一山が一巨岩から成つたものであつた。巨石高さは八十丈とか、幅もこれに相応したものである。頂きに小さな樹木を見せる外、ところどころに蔦かづらや岩松の簇生してゐる、雨の日は瀑布のやうに流れるのか、岩の面に水の流れる痕が見えてゐるが、岩の皺見たいなもの一つない。脚下には古座川上流の瀬が走つてゐる。

岩と相対してこちらの川原には中硯ほどの方形の石が多い。思ふにこの流域の岩石は細い条目のあるのが自然と割れて、板のやうになったものが幾つかに折れて四方が丸くなつたものであらう。那智黒石程ではないが、相当に質の堅いものだから自然の形のまゝで硯にすることも出来ようかと一つ二つ拾つて帰つた。単純で刻々に変化するものも凝視する所もないから遂に久しく賞する風景ではないが、その雄大壮重には和田氏ならず、僕ならずとも皆一目して一驚を喫するであらう。正に天下の風景には相違ない。

一体紀南の風景は鬼ケ城、潮の岬などにしても男性的な、豪快とか跌宕とかいふ風な趣のものが多い。その筈である。あの荒海に対峙して立つためには可なりな強い火山岩でなければ、疾くに消えてしまつてゐたであらう。石英粗面岩位なものなら鬼ケ城のやうにすつかり虫食ひにされてしまふ。紀州南端の風景美は、つまり堅い大きな岩石と外洋の荒濤との不断の肉迫戦の天然記念碑である。この点、潮岬に隣りした大島樫野の風景が傑出してゐると聞くがまだ知 らない。紀南の風景が女子供などを恐怖させるものゝあるのは決して偶然ではない。

 これ等の男性的な風景のところどころに思ひがけなく巧緻に優美な庭園式、新古今風とも言ひたい風景が在る。注意してみると、これが何も気まぐれにあるわけではなく、きつと岬のかげの深く食ひ込んだ入江の奥や、大きからず小さからぬ頃合ひな川の口などに限って出来てゐるのである。例へば大里町粉白海岸や浦神、湯川温泉のゆかし潟などの類である。これ等の単純だが優雅な風景は前記の男性的なものとは全く別の順序で出来たものらしい。荒海から運ばれた砂丘と急流が流し出した、土壌とで自づと出来た陸地を基礎にして成つたものらしい。

現にその順序をまのあたりに見せてゐるものもある。例へば下里町の太田川の川口など、防波堤を埋める程の砂丘に川口は埋め られて川の流は沼のやうになり、砂丘はまだ生々しく、一帯は荒廃してゐるが、後年にはやがて宇久井や新宮川口に近い鵜殿などのやうに、澄明に平和な風景になるものと思ふ。現に今でも稍年を経た部分はこの面目を呈してゐる。砂浜の上に築かれた風景が柔和な相貌を具へてゐるのは、岩石の上の風景のいかめしいのに比べて当然のやうに思はれる。地質学上もつといゝ説明があるのであらうが浅学で及ばぬ。

ともあれこの地のこの種の女性的な風景は、自然の発作的な熱情のために急激に出来たのでもなく、山と海との破壊的闘争の結末でもなく、荒海と急流とが争ひながらも、本来同じ水のせゐが争ひながらも、最後にはいつしか協力しつゝ建設したとも言ひ得るものであらう。 土地の隆起に伴うて化粧されるやうに発生した、これ等の風景は柔和で凡庸な箱庭風なものには相違ないが、それが偶例の男性的な風景の間にはさまつてゐるために、両々相待つて各の趣を発揮し合つてゐる。こゝに熊野風景の一つの特長がある。

那智の滝が雄大でありながら「美人の羅衣を纏うて立てるが如き」 嫋々たる美を示したのは、やがて熊野風景の一シンボルで あらう。空が青い。海が青い。雨量が多いから緑は一しほに青い。南国の日は明るい。色彩が特別に鮮明である。熊野の山の美を見るには田辺から本宮に抜ける道が万事に一番要領がいゝらしい。古の熊野行幸の御道筋である。未だ通つた事がないので海岸の方を主にした。一帯に落葉樹に乏しく霜も烈しくないから、紅葉の候より必ず新緑の候がよからうと思ふ。杉檜などの造林の新緑はまた格別である。また一帯に羊歯が多いのも美しい。

 二百二十日以後は平和な晩秋につゞいて早くももう浅春の感じで、梅や椿など南枝は綻び、土坡の南面は菫が咲き、海辺の日向には野生の水仙が簇つて松の木かげに自らなお正月の床飾をしてゐる。これが紀南の冬である。思へばわが郷熊野には雪景と平原美とだけがない。

底本:『定本 佐藤春夫全集』 第21巻、臨川書店

初出:1937年(昭和12年)12月1日発行の『風景』(第四巻第一二号)に掲載

(入力 てつ@み熊野ねっと

潮の岬:熊野の観光名所

一枚岩:熊野の観光名所

鬼ケ城:熊野の観光名所

那智黒石:熊野の名産品

玉の浦海水浴場(粉白海岸):熊野の観光名所

佐藤春夫「詩境湯川溫泉」

那智の滝:熊野の観光名所

2015.9.9 UP

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